人間賛歌は勇気の賛歌

「おそれを知って、できなくなる」という成長を読んでジョジョの奇妙な冒険の第一部のツェッペリさんのセリフを思い出した。

ノミっているよなあ………ちっぽけな虫けらのノミじゃよ!
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
ノミどものは『勇気』と呼べんなあ
それではジョジョ!『勇気』とはいったい何か!?
『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖』を我が物とすることじゃあッ!

ジョジョ語録より)

恐れ・畏れを知ってできなくなり、でも、やらなければならない状況になった時に勇気をもって取り組むようになるというのも成長。もちろん、やらなければならない状況に陥らないようにするというのも成長。「君子危うきに近寄らず」

あと、後段の部分について賛同する。一方で、やらなければならないことの場合は「できない」で終わらせず「じゃあ、どう回避する」まで合わせて検討していかないと難しいかなと思う。

自分に何ができるかをみんなが口々にアピールしあうよりも前に、自分に何ができないのかを「自信のなさ」としてではなく「自分の力を正しく理解できるようになった結果」として語れるようにしていくところからはじめたほうが、皆が生きられる社会や組織を作っていくには良いのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
「おそれを知って、できなくなる」という成長より)

自戒を込めて学生に言っていることは「20歳すぎて***(締切にならないとやるきにならないなど)という性格を今更変えることはできない。もう、一生***であると考えるべき。そのうえで、苦手なことをやらなければならないときに、どうにか自分をごまかしてそれを大過なく超えられるようにシステムを整えるべき。」ということ。

学校の重要な役割は、自分の力を正しく理解できるようになった結果として「できない」ことを把握し、その上で、やらなければならないときに「できない」ことを、どうやって乗り越えればよいのかのシステムを構築する知識、場、機会を会えたえる点にあると思う。「できない」ことの乗り越え方の代表は人脈なわけだけど、人見知りには他人に助力を求めるのが一番苦痛だったりする。そういうときに「メタ技術」を使って、助力を得られない時でも「できない」ことの乗り越え方を見出せるようにできれば一番良いと思っている。でも、特に良い方法は思いついていない。

追記:はてなブックマークコメントより

  • 人は変われるけどね。二十歳の私とは別人だもの/lessorさんの記事は「乗り越えられないこと」を受け入れる話だと思って読んだけどなあ。

私も「『乗り越えられないこと』を受け入れる話」としてこのエントリーを書きました。