寄せられた意見によって判断が歪むから意見を寄せるなという話

感情的なやりとりになっている部分は別としてやりとりされている内容は面白い。

理想的な状態:裁判官は法と良心のみによって判決を決める

裁判官は、法と良心のみによって判決を決め、その他の要素によっては判決が揺らがないという存在であるというのが理想的な状態。このような存在の裁判官であるならば、判決に対する抗議でも、賞賛・感謝でも何が寄せられてきたとしても判決に影響を与えないので上記の話が問題になることはない。

現実的な状態:裁判官は人や場合によっては世論の影響を受ける

なぜ、リンク先のTogetterのまとめが紛糾しているかといえば、われわれが生きている社会は理想的ではないから。裁判官はと良心のみによって判決を決めるべきだけれども、実際には人間なので寄せられた意見やマスコミの報道、時の政権の方針に多少なりとも影響される(人間だから常に精神状態良いわけでもない)。

このような現実において以下の二つの見方が対立している

  • 意見が届くと本来は「法と良心のみによって」判決を決めるべきなのに、意見による影響が生じる可能性がある and 影響が生じたと周囲からみなされるから、意見を送らない方が良い(それの方が結局、妥当な判断が得られる)
  • 既に意見は届いており、かつ、多くの場合は批判・抗議の意見。なので「法と良心のみによって」決めた判決を支持する意見も送った方が良い。

Togetterのまとめおよびそのコメント欄だと前者の意見が筋が通っているという流れ。法曹界で実際に実務に接している人たちも前者を支持。特に「裁判の民主化を狙っている」という見方もあることから、裁判官は多くの意見が寄せられたときにそれにあらがえないという実感を覚えているのだと思う。非常に実際的な見方だと思う。逆に言えば、提唱者の江川さんは裁判官は多くの意見が寄せられたときでもそれにあらがって「法と良心のみによって」判決が下せると期待していると言える。つまり、理想的な見方をしている。

自分の立場でこの状況を考えてみると、学生やその保護者から授業の成績について大量の意見が届いたり、論文の査読のときに大量の意見が関係者から届いたときに「お前は自分の意見を貫き通せるか?」という話になる。確かに危うい。体調やそのときの状況、自分がやろうとしていることへの確信度合によるとしか言えない。できれば、多くの意見が届かない方がやりやすい。

ただし、これを「現実的」と考えた場合、多くの意見が届くと「法と良心のみによって」判決し辛くなる裁判官は、時の政権の方針やマスコミの報道、司法関係者の方針にあらがう判決が出せるのかという疑問は残る。

裁判官は世間の意見から中立的な環境で保護されているの?

でも、上記の話には根本的な疑問がある。裁判官を多くの意見から守らなければならないわけだけど、裁判所に届けられている意見や裁判官自身に届いている意見から、裁判官は中立な状態で守られているかということ。今現在、何らかの方法で中立的に守られている or 特に何もしていないが守られているというならば、江川さんの呼びかけによってこの中立性が守れなくなるのはまずいように思う。

一方で、今の状態で既に中立性が守られていないならば、今回の話は寄せられている意見へのカウンターとして働くか、そもそも、既に届いている他の意見に左右されていないならば今回新たに届く意見にも左右されないだろう。問題は、裁判所や裁判官(およびその事務部隊)の処理能力への負荷の問題になる。

時の政権の方針やマスコミの報道、司法関係者の方針には対処済みだけど、多くの意見が届く件については対処していないならば、この件に対する対処をシステムとして早めに整えた方が良いように思う。

判決に「色がつくこと」が問題への話

実は江川さんの呼びかけへの批判点が「感謝が届いている」ということが他者の目に明らかになってしまい判決に「色がつく」という点にあるのならば、上の裁判官を中立に保つという話とは別の論点になる。確かに別に他者に影響された話ではないのに、他者から見るとタイミング的に影響されたと思われるというのはいろいろと面倒ではある。

この論点の場合は、司法関係者以外に、裁判官に対して何らかの意見が大量に届いているという事実が知れ渡るということが問題なのであり、知れ渡らなければ問題にならない。ある程度の有名人が誰でも閲覧可能なネット上において「感謝を送ろう」と言わなければ問題なく、特定多数にオフラインで「感謝を送ろう」とするのはOKという考え方。Togetterのまとめを読むとこの意味合いにもとれなくはない。

next49の考えは?

司法関係者のみなさまの懸念はわかるけど、裁判所や裁判官への処理能力飽和攻撃にならないかぎりは、賞賛、感謝、抗議、批判を自由に送ったらよいと思う。もし、これが司法に悪影響を及ぼすのならば、及ぼす作用機序を明らかにし、システムで悪影響を及ぼさないようにするのが良いと思う。

というのは、これは本質的に情報セキュリティの話と同じ話。脆弱性は秘密にしても、攻撃者はいずれ気づいてその脆弱性を利用した攻撃を編み出してくる。多くの意見が届けば判決は歪むというのが蓋然性の高い事実ならば、早くふさがなければ、ネットで不特定多数に一瞬で動員がかけられる社会においてはすぐに利用される。そちらの方が司法の危機だと思う。