とりあえずのシステム的対処法はスレッド参加人数に上限をつけることかも

まとめ

  • 喧嘩したとき、当人ら所属するグループと異なるグループ内で共感や励ましのやりとりを受けて立ち直るというのは普通のこと
  • 友達の友達を一つのグループにまとめることができ、かつ、そのグループにブロードキャストできるという特徴が検討すべき困った特徴
  • 2つの対策
    • LINEやTwitterなどのSNSの外に共感のやりとりができるグループを独立に用意しておく(最良の候補は家庭)
    • メッセージを共有できるスレッドの参加人数の上限を4〜7人ぐらいに制限し、「友達の友達」を安易に含められないようにする(強制的に人間関係を分割させる)
  • 小学生〜中学生向けSNSは、メッセージを共有できるスレッドの参加人数に上限を設け、ネガティブな共感のやりとりの影響を下げるようにした方が良い

本文

以下のLINEでネガティブな言葉の集中砲火を浴びたという話。たぶん、すべての登場人物の行動は異常な行動ではない。

以下のような友達関係(仲良しグループ)があったと仮定する。

  • 狐組:a 〜 dの4人の仲良しグループ
  • 虎組:d 〜 gの4人の仲良しグループ
  • うさぎ組: g 〜 jの4人の仲良しグループ

対面で合うときは、それぞれの仲良しグループは基本的には交わらない。dさん、gさんは二つのグループをつなぐハブ(Hub)であるけど、彼ら/彼女らは片方のグループに顔を出しているときにはもう片方のグループには顔を出さない。なので、対面でおしゃべりするときには、グループを越えて話題が行き来するためには、ハブを経由せねばならず、かつ、必ずタイムラグが生じる。

狐組のaとdが喧嘩したときに、dが狐組を一時離脱し、別の所属グループ虎組で愚痴をこぼす or 感情を爆発させてグループ構成員から共感・慰めをもらうというのは非常に自然な行為であるし、aとの対立を決定的に深めないためにも合理的な行為だと思う。dの話に感情を揺さぶられたgが別の所属グループにうさぎ組において、dの話に対して感じた思いを同グループ構成員に話し、共感を得るというのもよくある話だと思う。

対面で話すとき、あるいは、この3つのグループをつなぐコストが高いとき(たとえば、メーリングリストを作らなければならなかったり、一々全員のメールアドレスを登録しなければならないとき)、共感のやりとりはグループ内で完結し、うさぎ組の共感が直接、狐組のaに届いたりしない。

でも、LINEやTwitterなどのツールを使うと、本来、ハブ経由でしか情報のやりとりができなかったところにブロードキャスト(情報を全員に同時に送信)できるようになる。すると、うさぎ組や虎組の共感のやりとりが、狐組のaまでダイレクトに届く。aからすると「e 〜 jって誰じゃ?」という状態になるけど、その e 〜 j にしてみれば、a に対して話しているのではなく、それぞれのグループ構成員に共感したことを示しているだけなので「aって誰?」状態なのだと思う。

この友達の友達を一つのグループにまとめることができ(上記の礼だと狐組、虎組、うさぎ組を1つの組としてまとめる)、かつ、そのグループにブロードキャストできるという特徴が考慮を要する点なのだと思う。

喧嘩したときに、喧嘩している当人らと異なるグループで共感や励まし、指摘を得て、心を立て直す or 反省して、仲直りに向けて動くというのは普通の行為である(在宅生徒会長:LINE は確かに人を殺すかもの例のnonさんも家庭というグループ内で共感や励ましを得て、仲直りに向けて踏み出している)。LINEやTwitterなどのSNSでは、注意深く使わないと、この次の立ち直るために必要な「異なるグループ」を潰してしまう(全部、一つのグループとして再編してしまう)。

トラブルが無いときには(ポジティブな共感が行き交うとき)は、友達の友達からの共感もうれしいものだと思うけど、トラブル発生時(ネガティブな共感が行き交うとき)には、友達の友達からも責められることになる。

この友達の友達を一つのグループにまとめることができ、かつ、そのグループにブロードキャストできるという特徴に起因するトラブルに対処するための方法は以下の2つが考えられる。

  1. LINEやTwitterなどのSNSの外に共感のやりとりができるグループを独立に用意しておく(最良の候補は家庭)
  2. メッセージを共有できるスレッドの参加人数の上限を4〜7人ぐらいに制限し、「友達の友達」を安易に含められないようにする(強制的に人間関係を分割させる)

私を含めおじさん、おばさん世代は、まずは、1の対策をとるべきだと思う。リンク先のエントリーの方はまさにこの対策を普段から用意していたことによって、トラブルに対応できている。一方で、LINEや今後生まれてくるであろうSNSサービスは、小学校〜中学校ぐらいまでの学校という枠組みが強力な強制力を持つ年代の子向けに、メッセージを共有できるスレッドの参加人数の上限を4〜7人ぐらいに制限するという対策をとるべきだと思う。

もちろん、スレッドの参加人数の上限を作ることで「誰をスレッドに加えるか」という新たなトラブルの種がまかれることになるけど、「本当は加えたいのだけどこのツールはスレッドの参加人数の上限があるクソなツールだから、ごめんね」と謝罪できる理由を提供できるので、それはそれで良いと思う。

最後に以下の行動もたぶんそんなに異常ではない。

そして何より、Xちゃん。
彼女は、nonが集中砲火を浴びている間、何をしていたか。

ずーっとそれを静観していたんですねえ。

ひとことも発さず、ずっと見ていた。
最後に一言だけコメントがあった。

「では、連絡待っています」
と。

ぞぞっと来た。

以下の部分とも関連すると思う。

nonを攻めたててきた子たちは、
なぜそこまで人を傷つけようとするのか。

傷つけられた友人を守る、という大義名分を持って、
相手を傷つけるために、言葉を選ぶ。
どんな風に言えば、
相手により多くのダメージを与えられるか、
言葉を選びぬく。

なぜそんなことをするんだろう。

面白いから?

行き交う言葉の量や言葉の強さが「共感の度合い」を示すパラメーターなのだとすれば、Xちゃんが黙っていた理由も、知らん子たちがガンガン強い言葉を投げまくっていた理由もそんなに奇異には見えない。共感や励ましを得る/示すという観点からすれば、これは「それはすごくかわいいと思います」「いいね」「がんばれ」という言葉が飛び交っているのと「死ね」「最悪だね」「逃げるんだね」が飛び交っているのは違いがない。あんまり品が良いことじゃないけど、友達同士でグループ外の人間(典型的には上司、部下、彼氏、彼女、姑、姑など)に対して「そいつ、最悪だね。」「一度、痛い目あったほうが良いって。」と強い言葉で責めて共感を示すと言う行為をするのは良くあること。この共感のやりとりが、グループ越えて当事者に見えちゃっているのが困るポイントなのだと思う。

メッセージは履歴として残るので、友達を思っているという誠意を行動で示す(示さなければいけない)状況になっちゃうのも問題を加速させる原因であると思う。もちろん、正義の(大義の)ために行動するのは気持ちの良いことでもある。友達がよろこんでくれるなら尚更。

なので、普通にそこいらにいる人間と一緒であって、おぞましく見えたのはツールの特性上の欠陥として水に流すのがよろしいのではないかと思う。

あと、友達関係が1つのグループに集約されることにより、多面的な自分を1つの側面に落とし込んで、そこから変更できないつらさについても書きたく思ったけど長くなりすぎたので省略。