学生が消費者として振る舞うならば教員は教育者として振る舞わない

そもそも発言小町で相談しないで、同学科の先生たちとお食事会 or 飲み会言って愚痴を述べれば良いと思う。

「金を払っている客に対してその態度は何だ!」の前段階としてどういう態度をとったのかによって、この発言の妥当性は変わるのだけど、普通に接していてこういう発言にであったら、単なるサービス提供者になる。基本的に最大公約数的な指導はするけど、個別事情に合わせた指導はしない(というか、する気力がわかないので多分できない)。最大公約数的な指導はだいたい以下のとおり。

  • 質問されたことについてのみ答える。質問にできないことは探らない。
  • 技術や能力を伸ばすための助言や指導は、求められなければしない。求められた場合も負担にならない範囲で対応する。
  • 社会人として求められている一般的な振る舞いや技能ができていなくても、自分および他人の迷惑にならないならば注意しない

トップレベル教育者ならば、実績や人柄、雰囲気で「教わる側」「教える側」という役割分担が自然に発生するのだろうけど、私のような普通の大学教員の場合は、学生が「教わる側」という役割を受け入れてくれないと「教える側」という役割を果たすことができない。