使わない選択がある場合とない場合をごちゃまぜに考えるの?

Amazon.co.jpFacebookGoogleに大量の個人情報預けているのに、自治体のWebサイトとしてFacebook使ったり、図書館でTカード利用したりするのを問題視するのは二重基準だ!という意見は、使わないという選択肢があるものと、その選択肢がないものをごちゃまぜに考えていると思う。

経済的に厳しく本を買う金がない。また、インターネット接続環境も用意できないという人にとって図書館というのは情報収集や学習のための最後のセーフティラインになる。その最後のセーフティラインで「個人情報を集めてマーケティングに使います」というのと、AmazonFacebookで「個人情報を集めてマーケティングに使います」というのは話が違うと私は思う。各種手続きでアクセスしなければいけない自治体Webサイトも使わないという選択肢がない性質のもの。

プライバシー侵害を懸念する際に「個人情報保護法」でいう個人情報でないから問題ないと主張する組織が相次いでいるのが問題の最後にも書いたけれども、プライバシー侵害のダメージは悪い状況にある人や少数派(マイノリティー)ほど大きい。このため、そんなに悪い状況じゃない人や多数派(マジョリティ)に属している人はプライバシー侵害を軽視しがち(正直なところ、私も軽視してしまいがち)。そして、プライバシー侵害は発生すると元に戻せない(原状復帰が難しい)のが特徴。情報は拡散する傾向にあり、一度流れた情報を消すのは非常に難しい。

使わないという選択肢を採用できない人が利用者にいるものについて、使わない選択肢を選択肢を採用できるものと同等に考えるのは混乱を招くからやめた方が良いと思う。