子どもを家庭だけで育てるっていつからの「常識」?

病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog:全国のお父さんお母さん。自民党政権になると、0歳児保育が無くなるそうですに引用されている自民党の中長期政策体系の引用部分を読むと、こういう話にこそ民俗学や教育史学の研究者の方々からカウンター情報の提示があると良いと思うのだけどなぁと思う。

第6分科会(教育:町村信孝座長)は、「民主党は『子どもは社会が育てる』という誤った考え方でマニフェストを作った」と批判。「0歳児は原則、家庭で育てる」とし、家庭保育支援の強化を訴えています。また、学校の式典で国旗掲揚と国歌斉唱を義務化する法律の制定なども盛り込みました。

東北地方出身で金の卵世代の自分の親の話を聞くかぎり、子育てするのは年長の子どもの仕事か畑仕事がしづらくなった高齢者の担当といっていた。親は、畑仕事しているから日中は子どもの世話をしない(できない)。核家族化が進んでいる&少子化が進んでいる&義務教育がほぼ100%達成されている今において「家庭」で育てるのが可能だと思っているの?今までの日本にそんな時代があったの?

団塊の世代をうらやまない理由のときに書いたことをそのまま転載。

専業主婦がどうのこうのとかも、第一次産業ではほとんど専業主婦なんてくくりは存在しないでしょうに。それが日本の伝統だみたいな話されるのびっくり仰天。専業主婦が発生するのは明らかに第二次産業第三次産業において。それが日本の大半になったのは上の引用を見る限り1980年代じゃない。今の30代の人たちが子どものころからスタートしたこと。その前は、日本の3分の1は専業主婦を置くことが不可能な第一次産業がメイン。

小さいときは母親が家にいることが重要という議論があるけれども、今の団塊の世代の3分の1は専業主婦がいない家庭で育ったはずだから、結果として家に母親がいようがいまいが子どもは案外丈夫に育つという証明になっているのじゃないかとしか思えない。仮に子どもの成長に差がでているとしたら、それは母親が家にいることが可能であるという経済力の差ではないかと思う。

私たちが常識、あるべき姿と思っていることは、親の世代ぐらいから始まっていることが案外多い。

あと、第3分科会との整合性があるのかも聞きたい。

第3分科会(地域活性化:加藤紘一座長)は、「地域こそ保守政治の原点である。揺るぎない政治・経済を目指すためには、国の足腰である地域を強化しなければならない」として、小学校区単位でのコミュニティー育成や老人クラブの再編などを盛り込んでいます。

地域で子育てしないなら、なんのために地域を強化する必要があるの?