パニックを恐れて父権的に振舞うのを止めるべきか?

結論はなく、単なるメモ。

さらに「SPEEDI」試算の公表が遅れたことについて、当時首相補佐官だった細野豪志氏は5月2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明しています(ちなみに細野氏はこの点について原発事故担当相になった時点で「情報を隠したときの方がパニックになる可能性がある」と情報公開の方針を述べていて、評価できます)。

しかし政府側の説明は政府側の説明として、『ニューヨーク・タイムズ』のノリミツ・オオニシマーティン・ファクラー両記者は、「責任回避と批判回避を追求する文化の中で動く東京の官僚たちは、予測を公表しなかった」と書きます。また、「SPEEDI」について事故当初は知らなかった政治家たちは「避難圏の大幅拡大を恐れて」データはそれほど重要ではないと主張していたと。

その結果、たとえば福島県浪江村の住民数千人は3月12日から15日にかけて放射線量のきわめて高い浪江町津島に、そうとは知らず避難してしまったと。同村の馬場有町長は同紙に対して、「SPEEDI」の予測を知っていれば違う場所に避難したのに何も知らされていなかったと述べ、内部被曝の懸念を語り、政府が情報を公表しなかったのは「殺人」に等しいと語ったそうです。

責任をとらされないように動く。批判されないように動く。情報がしっかり固まっていない間はうかつに公表しない。

これはきわめて官僚的な発想であると同時に、組織で働く人の多くがそうではないでしょうか? 胸に手を当ててジッと考えてみれば。しかもこれは平時においては、そんなに悪いこととも思えません。きちんと確認のとれていない情報はうかつに流さないというのは、危機時におけるデマ発生防止の基本でもあります。

しかし、今まさにそこに危険が差し迫っている時は、例外です。

3月11日の大震災の際には、私もパニックを恐れました。というか、私がパニックに陥りそうだったので、パニックを抑制するように以下のエントリーを書いた。

原発事故への反応に対して反発を覚え以下のエントリーも書いた。

でも、この記事によるとこういう振る舞いは「神話」に基づいているものであると考えられる。

以下は、PABEが指摘している専門家たちの「10の神話」のリストである。

  1. 根本的な問題は、一般市民が科学的事実に無知であるということである。
  2. 人々は、GMOに対して「賛成」か「反対」かのどちらかである。
  3. 消費者は医療用のGMOは受け入れているが、食品・農業に利用されるGMOは拒絶している。
  4. 欧州の消費者は、貧しい第三世界に対して利己的に振る舞っている。
  5. 消費者は、選択の権利を行使するために遺伝子組換え表示を欲している。
  6. 一般市民は、誤って、GMOは不自然なものだと考えている。
  7. 市民が規制機関を信用しなくなってしまったのは、BSE狂牛病)危機の失策が原因である。
  8. 一般市民は「ゼロリスク」を要求しているが、これは不合理である。
  9. GMOに対する一般市民の反対は、倫理的または政治的な、「他の」要因によるものである。
  10. 一般市民は、事実を歪曲する扇情主義的なメディアの従順な犠牲者である。

(色つきはnext49による)

上記の色つきの部分は、私が感じているものと同じ。すなわち私は「神話」を信じている。そして、父権的に振舞ってしまっているのだろう。

パニックを防ぐために情報の公開を控えるという選択肢は、今回の大震災&原発事故で良くない結果を招くというのがわかった。たとえ、パニックが起こり誰かがそれを原因として著しい被害をこうむったとしても、とりあえずデータは公開して、その解釈と解釈から導かれる提案はしない(その提案が無くてもデータは公開する)というのが、一次観測結果の保有者に求められる行動指針になるのだろう。