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修論や卒論の廃止にすぐに賛成できない理由

発声練習
  • 問い:修論や卒論の廃止にすぐに賛成できないのはなぜですか?
  • 答え:小学校から始まり学部3年生までつづく教育システムにおいて「未知のもの」を説明する訓練がされておらず、その帳尻を合わせるために卒業研究や修士研究が必要であるため

なぜに、卒業研究の原則廃止ではないのか?

中央教育審議会は31日、大学院博士課程で、院生が1人の教員に師事して研究を手伝いながら指導を受ける“徒弟制度”や、特定のテーマに絞り込んだ修士論文の廃止などを盛り込む大学院教育改革策を高木義明文部科学相に答申した。

博士課程修了者が民間企業で敬遠される傾向があり、国際社会で活躍できる人材育成も不十分という批判が出ていることから、幅広い分野の研究をさせることで、企業などが求める人材育成を目指す。答申を受け、文科省は具体的な制度改革の検討に入る方針。

答申では、博士課程の院生が、1つの研究室にだけ属して1人の教員から指導を受ける現行制度からの転換を提言。複数の研究室で指導を受けながら学位を取得するように求めている。

また、5年制の博士課程の2年修了時点で、特定の研究テーマについてまとめる修士論文を原則的に廃止。代わりに幅広い分野についてテストやリポート審査を行う「クォリファイング・イグザム」の導入を求めている。

ただ、博士課程とは別にある修士課程は今後も存続するため、同課程での修士論文などは存続を認める。

新しい制度は、トップレベルの大学院教育を推進するために、各大学院の中から指定される「リーディング大学院」などで先行して導入される見通し。

この答申の本文がどこにあるかわからないのだけど、流れとしては2005年に出された新時代の大学院教育−国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて−答申の線上にあると思う。まさに、先日のいきいき研究室増産プロジェクトFORUM2011の1つめのセッションの内容そのもの。

でも、徒弟制度の防止が目的ならば、修士論文を止める前にまず卒業論文を止めさせるのが筋。理工農系の研究室教育は学部4年生から始まることが多い。大学院をアメリカモデル(研究大学において修士課程をなくし、博士課程5年に統一する)にするならば、学部までもアメリカモデルにして、卒業研究を課すのを止めれば良いのに。

国ごとに大学制度は異なるけれども、多くの学科で卒業研究が必修単位として存在するのは日本の大学の大きな特徴のはず。アメリカでも中国でも卒業研究なんてない。

言語技術習得の最後の機会としての卒業論文修士論文

妄想:会社がコミュニケーション能力を求める理由で書いたとおり、日本の教育システムで学んできたほとんどの人は、言語技術を教えられていないし、学んできていない。すなわち、報告書がかけない、技術書が読めない、論理的な議論のやり方をしらない、議論の経験もない、発表技術をしらない、質問のやり方をしらないという状態。

この状態の学生を急速に訓練するのが卒業研究と卒業論文。卒業研究にプラスして、より正解のない問題に取り組んでもらうのが修士研究と修士論文

社会に送り出す人材は、報告書が書けて、技術書が読めて、論理的な議論のやり方を知っており、議論の経験もある、発表技術を知っており、質問のやり方も知っているべきであると思っている大学教員は、卒業研究や修士研究を廃止しろと言われると「廃止しても良いけど、かなり困った人材が大学から輩出されますよ。」と思ってしまう。

もちろん、現状はバッドノウハウが典型的に蓄積している状態。本来ならば、進学率が98%である高校までの教育で言語技術を学んでおくべき。

大学院でのコースワークをより充実させる点については賛成

研究室中心の教育では、指導教員の力量によって教育内容が大きく変わるので、それをどうにか補正しないといけない。よって、研究室教育を補正する目的としてコースワークを増やすという点については賛成。

一方で、正解のない事柄についてじっくりと取り組ませ、以下の事柄を説明できるように教育するためには研究室型の少人数体制が必要不可欠。

  • その問題を解く必要性
  • その問題が解決できたと判断できる条件(基準)
  • その問題に対する解決法
  • その問題に対する解決法をあなたが提示した条件で評価した場合の達成度
  • その達成度で問題を解決できたといえるかどうかについてのあなたの主張

まあ、これは今回の答申への反応として筋違いだけど。

専門職大学院 or 研究大学院に統一するの?

今回の記事でかかれていることからすると、中央教育審議会は博士号の価値をあげるために、ゆくゆくは専門職大学院が発行するもの除き修士号を廃止する意図があるのではないかと思う。研究大学院は博士課程コース5年、専門職大学院MBAなどの専門別の修士を2年。

こうなると、現在、博士課程を持っていない大学院(すなわち、修士で終わり)は立ち位置が曖昧になる。なぜならば、研究なしで博士課程へ進んでもハンディキャップがありすぎて意味ない。結果として、そのような大学院は入学者を集められず、大学院を閉じることになるのではないだろうか。そして、その大学の性質は「教育を目的とした大学」になると。つまり、研究系大学と教育系大学の住み分けを大学院の修士課程の廃止を通してはっきりさせようという目的。

それが答申の目的であるならば、博士と一貫していない修士課程において修士研究は廃止というのは筋が通った話だと思う。

卒業研究を必修科目として課すことの価値は?

別の話として、日本が独自に行っている大学4年生に卒業研究を課しているというのは、価値がなかったんだろうか?主に理工農学部しか、そうしていなかったので日本全土に見える形で反映されてはいないと思うけど、今、メーカーの中枢にいる方々は卒業研究を経験してきた人たちではなかろうか。

誰か、卒業研究を必修科目として課すことにどういう教育効果があったのかの研究をしてくれるとうれしい。

おわりに

まとまらなかた。