博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?

科学・技術行政に興味がある方、大学院生のお子さんを持つ親御さんたち、大学院生のみなさんは必読。

榎木英介さんが書かれた本。Twitterで@enodonという名前で日々、科学技術ニュースを流してくださったり、メルマガを発行されていたり、サイエンス・サポート・アソシエーション(SSA)を運営されていたりして、社会のための科学・技術が成立するように日々活動されている。私は、「博士ネットワーク・ミーティング@つくば」第2回 博士ネットワーク・ミーティング@つくばノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会で面識を得た。

話し戻って、この本は一章で今の日本社会において博士号および博士課程はどのようにみられているのか、二章で博士号取得者が大量に輩出されるようになった背景、三章で博士号取得者への典型的批判(このようなやつ)への反論、四章で博士号取得者を社会で生かす必要性とその方法、第五章で科学・技術は今後どうあるべきかについて述べている。また、付録として、博士の就職問題について4人の方々から意見をもらっている。

私は以下のようなエントリーを書いたことがあるので、だいたいのことは知っていたけれども、オーバードクター問題が既に一度経験した問題であるとは知らなかった。

また、102ページに記載されていた。アップシフトについても知らなかった。

こうして大学院の拡充が決まったわけだが、問題があった。大学院生の増加に施設整備が対応しておらず、大学院生が増えれば増えるほど、研究・教育スペースが狭隘化していくことになる。

この状況を打破するために、東大では、今までは学部所属だった教員を、大学院所属に移すことにした。教員1人あたりの学生定員が大学院の教員の方が多いので、人数に見合ったお金が入るからだ。

そして、助手より教授、助教授の方が、国から研究成果にかかわらずもらえるお金である基盤校費の額が大きいため、助手の定員が減らされ、助教授や教授が増やされた。これにより、基盤校費の増加と大学院生の増加を同時に達成することができた。これは「アップシフト」と呼ばれた。

大学の教員数を調べた時、ピラミッド型になっておらず、むしろ、逆ピラミッド型になっていたので、白い巨塔が大学教員のイメージである私にすると奇妙に思えたのだった。理由判明。私の所属大学でも助教のポストは教授、准教授より少ない(ポストはあるけど、お金がないので雇えない)。

第二章の第一次オーバードクター問題の緩和(解決ではない)の話から私が得た教訓は、ポスドク問題解決のためにはまず景気回復が必要であるということ。また、結果に時間差がある政策は、「そのときの社会的要請」を丸呑みしてたててはいけないということ。多分、選挙の洗礼が必須の政治家は結果に時間差のある政策を中心となって推進するのが苦手であると思われる。本来は、任期が長く、解散がない参議院がこういう長期的な政策を担当すべきなのだろうけど、今の参議院はそういう体制になっていないと思う。

三章での博士号取得者への典型的批判への反論は面白かった。特に記憶に残ったのは以下のもの。

  • 131ページ。博士が無能であるという意見への反論的事実の一つ、博士を雇用した会社が博士の採用数をふやしている。つまり、採用した博士の能力に満足していると解釈できる
  • 139ページ。自己責任だろう?への反論。科学と芸術、スポーツは似ているが、科学者は科学者による訓練、貢献なしに生まれない。ストリート育ちの科学者(他の科学者による訓練を受けず、独自に学び・育った)は、たぶん生まれない。少なくとも他の科学者による入門書、教科書、専門書が必要。その部分が芸術やスポーツと違う。

また、三章の榎木さんの結論「結局、博士が使える使えないの話は適材適所の問題である」というのは心から賛同する。そして、適材適所とするためには雇用の流動化が必要であるという意見にも心から賛同する。一つ前のAKB48の経済学の感想でも書いたけど、進路変更のため、あるいは、多様性を担保するためのアカデミックキャリア構築のためには、雇用の流動性がどうしても重要だと思う。