報告書の性質とよくある勘違い

科研費の申請書書くために過去の自分のドキュメントをあさっていたら、もう、使わないであろうと思われる講義資料があったので、こちらに一部転載。なお、私のバックグラウンドと勤務先は計算機科学&工学です。

報告書とは何か?

義務教育期間に散々書かされてきたのは、ほとんど「感想文」。感想とは

心に浮んだ思い。感じ。所感。所懐。感懐。
広辞苑第5版より)

なので、感想文とは、何かを見たり聞いたり体感したりした際に、自分の心に浮かんだ思いや考えを述べた文書のこと。小学校から行われていた「作文」は基本的に 感想文。読書感想文がその代表格。

一方、報告とは、

  1. しらせつげること。報知。「近況―」
  2. ある任務を与えられたものが、その遂行の情況・結果について述べること。また、その内容。

広辞苑第5版より)

よって、報告書は、事実やその事実に基づく自分の主張や推測を誰かに報告するために書かれた文書のこと。報告書としては、レポート、申請書(企画書、 提案書)、仕様書、議事録、論文などがある。

ビジネスの場におけるコミュニケーションで大きな位置を占めるのが文書によるコミュニケーション。なぜならば、現代社会は忙しいので非同期かつ見返すことができることが重要であるため。特に中心となるのが、報告書によるコミュニケーション。

一方で、文書によるコミュニケーションは非同期なので、文書の解釈は、受け手に一任される。この結果、口頭によるコミュニケーションよりも、誤解される可能性が高くなる。この結果、伝えるべきことが誤解なく伝わる報告書が最も良い報告書であると評価される。よって、以下が推奨される。

  • シンプルな言葉遣いで書く
  • 簡潔に書く(短いほど良い)
  • 事実と主張・推測は明確に分けて書く
  • 論拠に基づかないことは書かない
  • 構成は報告書の種類ごとに一定である

大学において必須であるレポートや論文も当然この報告書の性質を引き継ぐことになる。

報告書にまつわるよくある勘違い

  • 私には文才がないから報告書なんて書けない
  • 私はプログラマーになるから報告書なんて書かないはず
  • 私は社長になるので報告書なんて書かない、読む側の立場のはず
  • レポートは長く書いたほうが良いんでしょ?
  • レポートは専門用語をたくさん使ったほうが良いんでしょ?
  • レポートは中身が大切だから、体裁はどうでも良いんでしょ?
  • レポートは本や教科書の記述を切り貼りしたものでしょ?

全部勘違い。

報告書作成は技術

「私には文才がないから報告書なんて書けない」というのは勘違い。

報告書作成においては、ある一定レベル(一般に良い報告書と呼ばれるレベル)までは、訓練すれば誰でも到達できる。独創的な言葉遣いで、独創的な構成で、独創的な話の展開が評価されるのは小説やコラムだけ。平易な言葉遣いで、典型的な構成で、典型的な話の展開こそが報告書では評価される。

報告書において、独創的であるべきなのは視点と主張のみであるということを忘れてはいけない。

複数人での作業では文書作成が必須

「私はプログラマーになるから報告書なんて書かないはず」というのは勘違い。

プログラマーは、仕様書という報告書(ソフトウェアの発注元の要求に基づき、どのようなソフトウェアを作るかを記した文書)を書かねばならない。「それはSEの仕事だろ?」という反論があるとは思うけど、上流から下流まであなたがやらなければならない状況がくれば、結局、仕様書を書かなければならない。

正確にいえば、ソフトウェア開発においては、プログラムと同じかそれ以上に報告書を書くのは避けられない(特に上流工程の場合)。特にチームで作業するかぎり、情報共有および情報の蓄積は必須なので、文書作成は避けては通れない。

知らなければ使いこなせない

「私は社長になるので報告書なんて書かない、読む側の立場のはず」というのは勘違い。

基本的には、あなた自身が、良い報告書が何であるか知っていなければ、効率よく報告書を読むことはできない。もちろん、「名選手≠名監督・コーチ」は正しい。だからといって、「ど素人=名監督・コーチ」はあり得ない。ものを使いこなすためには、それについてよく知っていなければならないというのは黄金律。

簡潔に短くすべし

「レポートは長く書いたほうが良いんでしょ?」というのは勘違い。

第二次世界大戦中のイギリスの首相ウィンストン・チャーチルが言った言葉、

われわれの職務を遂行するには大量の書類を読まねばならぬ。その書類のほとんどすべてが長すぎる。時間が無駄だし、要点をみつけるのに手間がかかる。同僚諸兄とその部下の方々に、報告書をもっと短くするようにご配意ねがいたい。

大量のデータや文書を得られるようになった現在においては、簡潔でかつ必要不可欠な情報が記載されている報告書の価値がより高くなっている。よって、レポートは伝えるべき内容が伝わるのに十分な量だけ書けば良いということを忘れないで欲しい。

出来る限り平易な言葉で書くべし

「レポートは専門用語をたくさん使ったほうが良いんでしょ?」というのは勘違い。

ある分野特有の概念や事柄に関して簡単に伝達するために用意されたのが専門用語。専門用語を用いると短い文章で伝えたいことが簡潔に伝えられるけれども、読み手がその専門用語をしらなければまったく意味がない。

ユリウス・カエサルジュリアス・シーザー)曰く、

文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない

報告書の目的が、伝えるべきことを誤解なく伝えることにあるのを思い出して欲しい。

体裁を守るべし

「レポートは中身が大切だから、体裁はどうでも良いんでしょ?」というのは勘違い。

レポートの中身が重要なのは事実。ただし、体裁は中身を理解するためにとても重要な要素である。ユーザーインターフェース(UI)は工学における一大研究テーマになっており、良いUIを持っている製品は「使いやすい」として売れるという事実に留意しなければならない。

報告書の体裁は、報告書で伝えたいことを簡単に見つけられるように考えられている。実験系の論文やレポートで主流の文章構成IMRAD(Introduction, Methods, Results, And Discussion)方式は、30年の実績をもつ体裁である。

一方で、体裁は注意深くあれば誰でも守れる部分なので、「体裁が守れていない=その報告書に注意を払っていない」という評価が下されることが多い。報告書の読み手は大量の報告書に目を通さなければならないことが多いので、読み手は寛容な気分になっていないことが多いことも良く覚えておかないといけない。

型稽古であることを理解すべし

「レポートは本や教科書の記述を切り貼りしたものでしょ?」というのは勘違い、なのだけど、そう思うのは無理もない。

学部生で行われる実験のほとんどにおいて、既に測定対象、実験環境、実験方法、観測できると期待できる結果が明らかになっている。そして、このような実験については、本を読めば実際に行わなくても、すべて分かる。このため「レポートを書く=本に書いてあることを写す」という意識が芽生えやすい。

じゃあ、何で既にわかっていることをわざわざやらせるのか?それは、誰も測定していないものを測定しなければならなくなったときの基礎知識の習得のためである。

実際に報告書を書くときには、報告すべき事実や自分の主張や推測は、何かの本にまとめられているわけではない。高校までに行った実験、これから大学で行う実験は、実験のやり方や報告の仕方を学ぶための型の練習である。

実際に未知の事柄について報告書を書くときの本や資料の位置づけは、事実や主張を補強するための材料としてであって、報告する事実や主張そのものではない。大学や高校で行っている実験を型稽古であると認識していなければ、常に実験方法や実験結果を既存の本や資料に求めてしまい、未知のものを計測することはできない。

おわりに

技術文書作成をカリキュラムに組み込んでいる日本の大学は多くないと思う。そんな環境でどうやって、報告書の書き方を身につけるかといえば、第一に自習、第二に卒業研究しかない。

ぜひ、卒業研究を報告書作成のための訓練と利用して、社会にでてからも役立つ能力を身につけて欲しい。

自習の場合は、以下の本がオススメ。

  • 木下 是雄:理科系の作文技術, 中公新書.
  • 小野田 博一:論理的に書く方法, PHP出版
  • 小野田 博一:論理的に考える方法―本質への筋道が読める, 光文社.
  • 酒井 聡樹:これから論文を書く若者のために 大改訂増補版, 共立出版.
  • 伊勢田 哲治:哲学思考トレーニング, 筑摩書房.