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二重基準のススメ:情報発信時と情報受信時とでは基準を変える

発声練習

「分かりやすい教え方」の技術個人間のやりとりとリフレ政策の価値は分けてのやりとりを通して、明確になってきたので一度、自分の考えをまとめてみる。

それは、自分が情報発信側であるときと、自分が情報受信側であるときには、自分の行動を律するための基準を変えた方が良いということ。

情報発信側

自分の伝えたいことが適切に伝わることが目的なので、基本方針は「相手に合わせる」のが重要。なので、仮定すべきことは以下のとおり。

  • 基本的には、相手は、自分の話す事/書く事なんて、聞きたくない/読みたくない
  • 自分の身なり、振る舞い、態度、発表技術によって、自分の伝えたい内容の正しさが判断されてしまうことがある(伝えたい内容の正しさ自体は判断されない)
  • 自分の伝えたい内容の正しさの証明責任は自分にある

少なくとも私の所属研究室で学生の発表練習を指導するときには上の点を重点的に教える。

情報受信側

自分にとって有用な情報を効率よく取得することが目的。なので基本方針は「自分が情報を取捨選択する」。よって、仮定すべきことは以下のとおり。

  • 話し手/書き手が必ずしも上手なわけではない(自分の伝えたいことをうまく作れているとは限らない)
  • 相手の身なり、振る舞い、態度、発表技術と、相手の話している内容の正しさは切り離して考える(内容の正しさは、内容自体の正しさで判断する)。
  • どんなつまらない話にも、何かしら学ぶ点がある

私が考える研究室での振る舞いや学生の防御的姿勢はだいたいこの観点からまとめている。

注意点:努力目標を義務として相手に適用しないこと

われわれの社会では、話を聞く気がない聞き手、あるいは、話すのが下手くそで何しゃべっているのか、何を伝えたいのかわからない話し手は、普通に存在する。「部下/学生はしっかりと話を聞くべき」「上司/教員はわかりやすく上手に伝えるべき」と思っていたところで、そうでない人がたくさんいる。現実世界にはそういう人が実際に存在するのだから、自分の身は自分で守らなければならない。

なので、自分の能力の向上や未来の選択肢を最大限に保つという観点からすると、発信側の努力目標を発信側の義務にしてしまう、あるいは受信側の努力目標を受信側の義務にしてしまうのは良くない。