科学との正しい付き合い方

「科学との正しい付き合い方」読了。内田さんの主張は後書きにまとめられている。この3点について反論はない。

  1. 科学技術は私たちの身の回りにあふれている
  2. 今の科学技術と社会の関係は、ぎくしゃくしている
  3. 読者のみなさんに、科学技術の監視団になってほしい

気になったのは、この本の想定読者、見える科学に対置させている「見えない科学」とそれを知るの意味、そして、擬似科学の意味のぶれ。

私が理解する限り、この本の想定読者は同書でいうマニアおよび中の人。理由は、中級以降、無関心層にとってどうでもよいと思われるマニアと中の人の姿勢に対する批判になっているため。ただし、タイトルは「科学との正しい付き合い方」なので、できれば、見えない科学を見えるようにするためにはどうすればよいかの記述が多いほうがよかったと思う。もちろん、中級編と上級編が意味ないというわけではない。おもしろいのだけど、それは中の人とマニアに向けてそれ単独のテーマで出して欲しい。私も中の人の端くれなので、サイエンスコミュニケーターとしてどうとらえているのかというのを中の人に向けてわかりやすく説明してくれるとうれしい。

「今の科学技術と社会の関係は、ぎくしゃくしている」という部分は興味深いし、言おうとしている趣旨はおぼろげながらわかるような気がするのだけど、明確には理解できなかった。内田さんは市民(研究者、技術者、非研究者、非技術者、すなわち社会の全構成員)が「科学技術と社会が対峙している」というように認識するのはまずいと考えている。そのため、研究者や技術者、あるいは科学技術マニア(自分で科学技術に関する情報を収集するのが苦にならない人たち)が「科学技術と社会が対峙している」という認識を強化する発言や行動をとりがちなことに憂慮している。その代表例としてあげられているのが、ノーベル賞受賞者たちがおこなった事業仕分けに対するコメントなのだと思う。科学教云々は、科学技術の重要性や必要性を非研究者と非技術者に説明せずに「科学技術が重要であり必要であることを理解せよ」という姿勢のことを言っているのだと思う。また、内田さんは「科学技術と社会が対峙している」と認識されるのを憂慮しているので、伝え方ややり方を工夫しないと「科学技術と社会が対峙している」という認識を強化しやすい擬似科学批判についても、ちょっと批判的な目で見ている。(追記参照)

だから本書ではいろいろな例を出して「科学技術と社会は対峙しているわけでなく、社会の一部である」と認識を換えさせようとしている。たとえば、「わからないものを知りたいと思う好奇心&実際に知るために行動する姿勢=科学心」であり、この科学心は人は生まれながらにしてもっているということ。私たちの生活のさまざまなものが科学の進展や技術の発達の成果であるということなど。

私たちの生活に満ち溢れている科学の成果や技術のことを内田さんは「見えない科学」と名づけている。私が理解するに、サイエンスコミュニケーターの目的は、この見えない科学に気づいてもらい、「科学技術と社会が対峙している」と認識されるのを防ぐことであると思う。ところが、p. 192の「見えない科学技術」を拾い上げるという話あたりから、ちょっと理解ができなくなる。p. 192以降の話のポイントは、「科学を身近に感じてもらう」ためには、科学や技術の話をそのまま提示するのではなく、興味が持てるように工夫して提示したほうがよいという話。これは「見えない科学」を見えるようにする話とは違う。なので、結局、内田さんが話そうとしている「見えない科学とそれを知る」というのが何の話なのかがわからない。まあ、一番重要な点は「科学や技術は私たちにとって身近なものですよ」ということが伝われば良いのだろうとは思うけれども。

最後に擬似科学の意味のぶれについて。先に書いたように私の理解では、下手なやり方で擬似科学批判をすると、つまるところ「お前の科学リテラシーが足りない」という個人批判につながってしまい、それが結果として「科学技術と社会が対峙している」という認識を強化してしまう。これを内田さんが憂慮しているのではないかと思うのだけど、擬似科学の定義が「科学ではまだ検証されていない事柄(未科学)」と「科学的に誤りであることがわかっているのに科学的に正しいと偽っている事柄(ニセ科学)」の両方で使ってしまっているので、後者に対する批判まで一括して憂慮してしまっている。これだと、後者に対して精力的に活動している人たちにとってはおもしろくない話になってしまう。しかも、半年に一度くらいは、擬似科学批判批判みたいな話がネットで流行るので、精力的に活動している人たちにとっては「その憂慮はもう何年も前からしているよ」という話になる。意図はわかるので、未科学ニセ科学の話を切り分けて欲しかった。というのもニセ科学に関してはそれをちゃんと批判しないのは科学者の怠慢だという声もあるぐらいなので。

最後に全体的な感想としては、研究者や技術者の方、サイエンスコミュニケーションに興味ある方は読んでみたら良いと思う。いろいろと考えられるので。一方で、本当に科学との付き合い方を学びたいという人にとっては、この本はちょっと論点が多すぎてわかりづらいと思う。

追記

著者の内田さんからコメントいただいた。

ご丁寧なエントリ、ありがとうございます!一点だけ「擬似科学批判についても、ちょっと批判的な目で見ている」ですが、疑似科学は批判しなきゃいけない存在、だということに関しては私も同意です。(図々しいのですが、その記述を変えていただければ…スミマセン!)
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確かにご指摘いただいた部分は私の解釈で、内田さんが明言しているわけではない。訂正させていただきます。