12月6日に行なわれたノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会に参加してきた。主催者のみなさま、参加者のみなさまお疲れ様でした。討論会の内容はTwitterで中継されており、それをまとめたものが作成されている。
40名近くが参加し、多種多様な背景を持つ人が集まっていた。所属としては、学生、ポスドク、大学教職員・旧国研職員、会社員、マスコミ。分野としては、人文系と自然科学系、医療系。年齢としては20代前半から60代まで。この多様な面子がメーリングリスト、ブログ、Twitter経由の呼びかけで集まったのだから、ネットの情報伝達能力はあなどれない。討論会の内容についてはTwitterによる中継を読んでいただきたい。
今回、非研究者の方と長く話さしていただいたり、同じ研究者でも大学以外の研究者の方と話させていただいたりして思ったのは、誰を相手にどういう言葉を使って話すのかというのがとても重要であるという点だった。
主に飲み会でおしゃべりしたことをベースに自分の考えをまとめておく。(追記:ここから下は討論会自体の結論ではなく、飲み会の席での雑談をベースとしてnext49が考えたことです。討論会参加者の総意ではありませんのでご注意ください。)
- 「科学=自然科学」ではなく「科学=獲得した知識を後世に整理した形で残していく営み」
- 次にどんな産業が興るか、どんな製品が成功するのか、どんな研究テーマが世界を変えるのかをあらかじめ予想することは難しい
- 経済学者が政府による産業振興を疑問視し、市場を重視しているのはこのため
- 経済学者が数十年前に通りすぎていった道を他の分野の科学者が一生懸命論じようとするのは時間の無駄
- 仮に政府がマーケティングをしっかり行い産業振興に成功したとしても、イノベーションのジレンマは避け切れない
- 「ノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会」が声明を出すとき、既出の声明と異なる点は以下の2点
- 「科学=自然科学」ではなく「科学=獲得した知識を後世に整理した形で残していく営み」あるいは最低限「科学=人文+自然科学」ととらえる
- 「研究者コミュニティからの政府への要望」ではなく、「科学コミュニティからの明日の日本の科学についての声明」とする
- 研究者の不安定雇用(ポスドク含む)における労働問題の側面については「就職における年齢差別反対」の1点のみを主張する
- 研究者の不安定雇用を労働問題の側面で押し出すと非正規雇用の話を持ち出され一蹴される(当然の話)
- 研究者の不安定雇用の話は、科学者キャリアパスの理想像とのギャップにおいて問題とするべきで、個々人の雇用の安定の話では問題するべきでない
- 博士の民間や行政での活用や科学者キャリアパスにおける出身背景の多様性の維持を阻む重要な問題の一つは「就職における年齢差別」。別名「新卒主義」。
- 「就職における年齢差別」は第二新卒やロスト・ジェネレーション世代、リストラによる解雇された人の再就職者、定年後の就職活動者などにとっても同じように重要な問題
- まずは、国家公務員1種試験の受験資格から年齢制限とポストドクター採用の年齢制限を廃止する
- つぎに、新卒採用の根拠となっている「募集・採用時の年齢制限禁止」の例外事項をはずす
- その後、退職金に対する優遇税制を廃止する
- 参考:「募集・採用時の年齢制限禁止」の義務化
- 科学予算に関する事業仕分けに対して、研究者コミュニティが過剰反応したのは「理念」が否定されたと勘違いしたため
- 枝野議員の事業仕分けと予算編成のオープンミーティングの文字起こしをしましたによれば、理念は理解した上での運用の仕方についての議論とのことだったが、説明人側が用意した資料はその目的に明らかに合致していないもの。意思疎通ミスがあるように見える。
- 実際の事業仕分けでの議論についてもいくつかの議論においては「理念」自体を否定しているように見受けられた。たとえば、若手研究者支援の議論については「ポスドク=社会にもでないで甘えている若者」というようなレッテルを貼られ、ポスドクという存在自体を否定されたように受け止められた(参考:事業番号13:競争的資金(若手研究育成)についての仕分け人の疑問)
- 一方で、声明を出した研究者コミュニティ側も事業仕分けの議論をちゃんと理解しないで反応した節がある(スーパーコンピュータに対する反応はその典型例)
- 事業仕分けの進め方として、「理念自体への疑問」と「理念はよしとした上での運用の仕方への疑問」が明確にわかるように区別して議論を進めて欲しい
- 研究者コミュニティは、感情的にならずに何について問われているのかを理解したうえで、それに誠実に答えるようにするべき
- 科学は研究者だけのものではない
- 科学を発展させる方法は研究活動だけではない
- 研究者は「科学=研究」という図式のみで科学を語らないように常に気をつける
追記2:
私が他の方々のコメントを読むのが好きな理由は、私が思いつかなかった、あるいは見落としていたことを指摘していただけるからです(もちろん、賛同していただいたり、お褒めいただいたりするのもとってもうれしいです)。このエントリーのはてなブックマークコメントでも、いくつか違う見方を提示していただけましたが、ブックマークコメントの字数制限のため、もう少し説明していただけたらなというコメントもいくつかありましたのでそれを抜き出しました。なお、以下は質問の形をとった反論ではありません。
id:I11さんのコメントが私のエントリーに対するコメントだとしたとき、私のエントリーのどの部分をどう受け止められて、上記コメントのような感想がでたのかを、よろしければ教えていただきたいです。
もし、id:paraseleneさんにお時間があるのでしたら、以下の2点を教えていただきたいです。
- paraseleneさんは事業仕分けにおいて何が主張されていると考え、それへの反論はどういう条件を満たしたものでなければいけないとお考えなのか。
- 私の意見の「破壊的イノベーションの苗床であるということが社会にとっての「益」になっている」は、なぜダメであるとお考えなのか。
- showgotch 科学のモノ的価値、人文社会的価値="技術:テクノロジー"でしょうに。言葉をもっと整理しないと本当の問題は見えてこない気がする
もし、id:showgotchさんにお時間があるのでしたら、上記コメントに関してもうすこし解説をいただきたいです。たぶん、私が書いた科学の定義「獲得した知識を後世に整理した形で残していく営み」が不適切であるという指摘なのだと思いますが、私の定義はどういう観点からみると不適切であるのか、また、showgotchさんの定義はどうして、私の定義よりも適切であるとお考えなのか、ご教示いただければさいわいです。
追記(2010/1/3)showgotchさんがエントリーを書いてくださいました。