続・卒業研究の取り組み方によって卒業研究の難易度を変えるべきか否か

メタ卒業研究と卒業研究で目的と手段をごちゃまぜにしない卒業研究の取り組み方によって卒業研究の難易度を変えるべきか否かの続き。

当事者同士で資源の取り合いをしなければならないときでkwsmさんに以下のコメントを頂いた。

〜前略〜
表の情報と内実が乖離している可能性があり、しかもそれを外側から知ることが困難である、というのは決定の質を下げ、長期的にはシステムの質を下げます。
これはミクロ経済における情報の非対称性の問題そのものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/情報の非対称性

ちょっと話がそれますが、私が、以前のエントリで
卒論指導において大学院進学予定の有無によって指導方針を変えるのなら、単位そのもの(の名称)も変更しろ、
と主張したのも、同じ理屈に基づいています。
結果としての理解に個人差があるのは、その大学の(その研究室ではない)基準において最低限を確保した上でなら、
認めることに何の問題もありませんが、教員側が系統的に操作するなら、それは外に解るように表示されるべきなのです。
例え、現状では変更された単位の名称とシラバス表記を誰も読まないとしても。