日本の科学技術の発展のために「希望はインフレターゲット」

日本の科学技術発展のために、日本の科学技術に関わるすべての人間が今すぐに出来ること、そして、たぶん、最も効果的で実現可能性が高いことは「日本銀行インフレターゲットを設定させ、日本をマイルドインフレ(5%以下、2%以上)にすること」だ。

具体的な行動としては、自分の周りにいる人3人に「あなたが気にする***という問題を解決するためには、その問題解決の下支えとして景気が良くなければいけない。で、景気を良くするためには、日本はインフレにならないといけないらしいよ。」と根気強く説明(洗脳)すれば良い。

日本の科学技術行政についていろいろ問題があるがかなりの部分は金で解決できる

言語の問題や閉鎖性、チャレンジ精神がないとかいろいろと民族的な観点から、あるいは、世代闘争や島国根性的な観点から議論されることが多いけれども、日本の科学技術行政のいろいろな問題はトドのつまりアカデミックおよび企業におけるポストの問題であり、ポストの問題ははっきりいって金で解決できる。

今現在、ポストの問題が金で解決できない理由は、国民も企業もどちらも金を出したくないから。何故出したくないかといえば、バブルがはじけてからずっと続いている不況のせいで金を出す余裕なんてないから。

ポスドク問題も素朴にいえば、雇用問題であり、景気がよければ人手不足になるので民間企業も博士を雇い入れる(猫も杓子も雇いたい状態なので)。一度、十分な人数の博士が民間企業でそれなりに活躍すれば博士に対するいわれ無き偏見もせいぜい修士に対する偏見程度に緩和されるのはほぼ確実(常識的に考えて、修士から3年たっただけで、いきなりとんでもない人間に変化するはずない)。大学や旧国立研究所における常勤研究者のポスト不足も景気がよく税収も順調であるならば現状維持、もしくは微増であるのは確実。場合によっては産業創出のため新たなポストが増える可能性も十分にあり得る。

また、世間のみなさまがポスドク問題に冷たい理由の最も大きいところは、「うちらも失業しそうなのに、大学院で5年間学生やってられるほど裕福なお前が『失業する私たちを見捨ていいのか?』なんて弱いものぶるな!!」というのが正直なところだと思う。でも、景気がよければ、「うちらは収入あるのに、大学院で5年間学んで無職なんてかわいそうだね。」と意見が変わるのは十分にあり得る。

ざっくばらんに言うと、日本全土が不況にあえいでいるところに「科学技術は将来への投資だから別扱いにしろ」と主張しても、明日のご飯が食べれない人にはその主張は届かない。

スポーツ、芸術、研究、教育は社会の余剰で養われる

歴史的に見て、スポーツ、芸術、研究、教育は生産性が0のものとみなされる。「いや、スポーツや芸術は人生を豊かにする」また「研究や教育は将来への投資で未来の豊かさの礎となる」という主張は、まったくもって正しいのだけど、正しいからといって受けいられられる意見ではない。米百表の話が美談なのは、我々にとって当たり前の話ではないから。直観や感覚、経験に反する話なので理屈で感情を納得させる必要があるわけ。

実際、最貧国に位置づけされる国々では子どもは大事な労働力なので教育なんて得たいのしれないものを受けさせる余裕はない。同様に、青年が重要な労働力である発展国では、青年を大学に行かせるよりもさっさと働かせたほうが短期間でのリターンが多い。青年を大学まで送り込めるのは、青年が働かなくても家庭が経済的に成り立つ先進国特有の話だ。

生産性があがり分業体制が進み、社会に余剰ができるまでスポーツや芸術、研究は金持ちのスポンサーがいなければなりたたない職業だった。でも、今ではこれらは安定性は無いにしろスポンサーなしのちゃんとした職業としてなりたちつつある。

社会に余裕がなければ、頭では「スポーツや芸術は人生を豊かにする」また「研究や教育は将来への投資で未来の豊かさの礎となる」とわかっていても、感情的にはこれらに従事する人は「まともな仕事もしないで遊びやがって」としか思われない。

スポーツ、芸術、研究、教育が充実するためには、社会全体で衣食住が足りている必要性がある。

不況下で構造を変化させるには誰かに死んでもらう必要がある

日本のいろいろな分野で構造的な問題がありいろいろな不都合が起こっているのは間違いない。そして、その構造に由来してさまざまな無駄が発生しているのも間違いない。ある分野を活性化するためには、構造改革を行い、無駄を排除する必要があるのも絶対に正しい。

でも、その構造改革を不況下で行うと必ず死人がでる。今現在、ある分野というのはその構造の下で安定しているのだから、無駄と思われる部分で生計をたてている人が必ずいる。理想的にはその部分は無駄なので、そこで生計をたてている人は再学習をおこない別の事柄で生計を立ててもらうべきだけど、不況下ではその別の事柄が存在しない。なぜならば、別の事柄で生計を立てている人は、もう飽和状態に達しているはずだから。

どんなに奇麗事や理想論を言おうと、不況下で構造改革を行うということは無駄の部分で生計を立てている人に死ねといっているのに等しい。科学技術の分野で言えば、日本の民間科学技術開発部門ポスドク、アカデミックや研究所の若手がさまざまな表現で「ポストがないから転職しろ」と言われている。でも、不況下においては転職先にポストがないので、それは事実上「飢えて死ね」といっているに等しい。

背水の陣という言葉があるように、逃げ道がないとき人は生きるために必死に戦う。それが抵抗勢力と呼ばれようが、自分が死ぬか生きるかの境目なのだからそんなの気にしない。殲滅が目的ではなく、陣地を取るのが目的の将軍は、必ず敵の退却路を用意する。不況下での構造改革は、背水の陣を引いている相手に真正面から勝負を挑むようなもの。

デフレーションの下で好景気になることはあり得ない

経済学者はいろいろと意見を対立させているが、どの経済学者に尋ねたとしても「不景気よりも好景気がよい」という一点において必ず意見を一致させている。そして、ほとんどの経済学者が今現在、日本は不況であること、そして、デフレーションの状態であることについて意見は一致している。デフレーションは物の価値がさがり、お金の価値があがる現象なので、めぐりめぐって不況になる。今回の世界同時不況でどの国も必死でデフレーションに陥るのを防ごうとしているのは、この理由のため。

経済学者の意見が分かれるのはこの先で、どうやればデフレーションを抜け出せるか?という点になるわけだけど、一番、素朴で魅力的な案は、インフレーションを起こし、デフレーションを抜け出せばよいという方法。これは、相対的に楽な方法。

ここいら辺は素人の私がうだうだいって私の理解不足で、このエントリーを読んでいるあなたの信頼度を削いでしまう結果になるよりも、専門家たちの主張を読んだり聞いたりしたほうが良い。

素人は技術的なことに頓着せず専門家に目的だけ示すべき

今回の世界同時不況で、インフレ率を維持する方法について多くの実証的データが各国で日々得られている。多くの経済学者の間でマイルドインフレを維持する方法やデフレーションからどうやってマイルドインフレに移行すればよいのかが話し合われているけれども、我々素人は、そんな細かい技術論争には目もくれず本来の目的だけを専門家たる経済学者と経済官僚と政治家に示せばよい。「さっさとデフレーションから脱却してマイルドインフレーションにしろ!

専門家は雇い主のオーダーを満たすような方法を提案するのがお仕事なので、雇い主たる我々が技術論争に入り込む必要はない。むしろ、技術論争に陥って、手段と目的を取り違えて本当に達成したいことを忘れてしまう危険性にこそ注意するべき。

景気がよくなったら本気でパイの争奪戦をしようじゃないの

景気が悪いときにパイの分配についてやりあっても「じゃあ、あなたは私に死ねって言うんですね」と言われて黙るしかない。景気が良いときならば「じゃあ、あなたは私に死ねって言うんですね」に対して「いいや、転職して別の分野にいけと言っているんだ」と返せる。

今はパイの分配について本気でやりあうときじゃない。仮にやりあうとしても、様子見程度が限度だと思う。

おわりに

個人として、職業人として日本の科学技術コミュニティに対して行えることはある程度あると思うけど、日本の科学技術政策において一番のネックは金がないことなのは確か。金がない理由は今が不況だから。もし、日本経済がバブルまでいかなくても標準の経済成長を遂げているならば(飯田理論によれば年率2.5%の成長)、日本の科学技術政策に関する改革はいろいろと楽だったと思う。具体的にはポスドク問題や研究者の流動性問題は、民間企業に流れるという選択も可能となるので、かなり、進んだと思われる。

一般の人にとって、余裕がなければ冒険できないのは当たり前のこと(だから、余裕がないのに冒険する人を我々は英雄や変人と見なす)。なので、我々が声を上げて景気が良くなるならばガンガン声を上げるべき。どうせ、声を上げることと日本の科学技術コミュニティに対して何か行うことは同時平行で勧められるのでデメリットは特にないし。