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大学教員と授業

私は、理想的な学問の府としての大学と職業訓練機関(あるいはシグナリング機関)としての大学の二つを端点として、これからの大学はグラデーションを描きながら存在すると思うので、定期的にこういう議論があがってくるのは、とても良いことだと思う。

多分、大学院の授業の方にだけ当てはまるのだろうけど私のボスの意見。
「研究していない教員がまともな授業できるはずない。何が重要で何が重要でないのかは時とともに変わるため、研究を続けて情報収集していなければ何が重要なのかを判断することができないし、教わった内容がどのように役にたつのかの応用例を示すことができない。」

ボスの意見におおかた同意。大学は高校までと異なり検定教科書がないので何をどこまで教えるのかは学科ごと(教員ごと)に任せられている。半期15コマではある一分野についてもすべてをカバーするのは至難の技、よって、私のような新米教員にとっては何を教えるのかはとても難しい話。そんなときに指針となるのが先輩教員がどう教えてきたかという情報、その分野の定番の教科書(ありがたいことにほとんどの定番教科書は前書きの部分にこの本はどうやって使うべきかが書いてある)、そして自分の研究分野や情報収集範囲における教える内容の応用事例だ。自分が習ったことのない分野だと定番の教科書すら分からないので大変!そういう意味でちゃんとカリキュラムが整った大学の卒業者は自分の使った教科書から教科書選びを始めればよいのでとても楽。

別のエントリーにも書いたけど、定番の教科書がない新しい分野などだと自分の情報収集能力だけが頼りになる。そんなとき、研究していない先生は何を指針にその分野の授業をするのだろうか?

なので、大学教員は教育のために雇われているということを忘れてはいけないけど、研究をするべし。

追記

id:isikaribetu07さんにブックマークでご指摘を受けたとおり私の元の文では意味が分からなかったので高校までの「教科書」を「検定教科書」と訂正させていただいた。id:isikaribetu07さん、ご指摘ありがとうございます。

追記2

ブックマークより。

  • steam_heart 専門基礎辺りが、普通のイメージの「教育」と大学教官のイメージの「教育」の境目かと思う/これぐらいの教育なら、教える気があるだけでいいような気もする。ハードルの上がり様が不思議。

専門基礎も膨大なボリュームがあるのでそのうちどの部分を自学科として学生に教えるか(他の科目の基礎として求められるのはどの部分までか)を選択するのがなかなか難しいのです。たとえば、離散数学は計算機科学の基礎の基礎なのですが、離散数学は連続数学と対をなす分野ですから、人によって集合論、グラフ論、組合せ数学、代数学、論理学のどれを離散数学として学生に教えるかは異なります。学科によっては、それぞれを一科目ずつ教えたり、まとめてさらりと一通りやったりと様々です。一科目ずつ教えるとしても、じゃあ、学科の他の科目との整合性や業界や学界で基礎教養とみなされる部分はどこかをピックアップしてダイジェストで教える必要があります(15回しか講義がありませんから)。

むしろ、専門基礎の方が研究をどれだけやっているのか、情報収集をどれだけやっているのかが問われると私は思っています。