大学院での教育を英語で行うということ

僕個人の考えを言えば、「別に日本でも高等教育は英語で行えばいいじゃないか」というところかと。理由は簡単で、

  1. そもそも大半の基礎科学研究は国際レベルで展開されているものだから、基礎的な知識は英語を介して身につけた方が後になって日本語&英語の対訳を覚えるよりも効率的
  2. 既に日本ではアカデミアが飽和に達していて研究者の海外逃亡が見込まれる状況なのだから、予め英語だけで研究活動ができる程度の訓練を受けておくことは有益
  3. 海外から優秀な研究者を招聘する際にわざわざ日本語の習得を義務付ける必要がなくなる

うーん。確かに。

日本にノーベル賞が来る理由での感想で以下のように書いた理由は、大学の学部教育が英語で行われるのは反対だったから。

この本を読んで疑問に思った点は本の内容ではなく、研究者の流動性の話。アメリカの大学の場合、アメリカの大学で教員になる人は全員英語で授業を行うだろう。でも、ヨーロッパの場合、イタリアで授業していた大学教員がドイツに行ったときには何語で授業するんだ?もし、現地語で授業するというのであれば、日本の大学に外国人教員を増やす場合、その教員は日本語を習得しないといけなくなり、日本語圏という理由だけで障壁になる。もし、ヨーロッパの大学の授業の基本は英語であるのならば、日本の大学自体が変わり、学生は英語をしゃべらなくてはならなくなる(まあ、大学院だけの話かもしれないけど)。伊藤氏は「自国語で高等教育ができる日本は悪くない」と言っているけれども、研究者の流動性を上げる政策をとると「高等教育=英語で行う」ということにならないだろうか?

Chikirinの日記:国立大学の統廃合私案での反応を大学教職員や教育関連官公庁勤務ではない方が考える適切な国立大学のあるべき姿を見たいでまとめたときに、結構多くの人が「大学卒業者の数が多すぎる。もっと、絞り込んでエリート化するべし」というようなことを書いていた。

私はこの「大学卒業者の数が多すぎる。もっと、絞り込んでエリート化するべし」には反対。科学技術の発展が著しい現在、同じく発展し続けるであろう未来において、教育期間が昔よりも長くなるのは必然。情報や知識が増えても、それを処理する人間の能力は上がっていないのだから、時間をかけるしかない。しかも、医学の進歩により寿命は延びており、かつ、産業構造も第三次産業へ移りつつあるので、年をとっても元気に働ける状況になりつつある。

我々をとりまく環境が変化しているのに、教育のやり方を戦前ぐらいまで戻そうというのは理屈が通らない。今の高校は以前の中学、今の大学は以前の高校、今の大学院修士が以前の大学という状態になるのはしょうがないこと。

話し戻って、vikingさんの提案の大学院教育を英語でやれば良いのではというのには、私の理性は賛成しろとささやいているが、私の感情は反対しろとささやいている。

まあ、正直に言うと、私は英語が苦手。英語話者怖い。つまり、vikingさんのおっしゃるおかしな話な状態。

日本という国が真に国際化を目指すのなら、最低でも高等教育を受けるぐらいのキャリア予備軍は英語をオフィシャルでもプライベートでも使いこなせるべきなのであって、そもそも「英語ができないから海外になんて行けない」なんて泣き言が巷で聞こえる時点でおかしな話なのです。

なので、どうしても保身が先立ち「大学院の教育を英語化?イヤ!」となってしまう。

でも、科学における頭脳(主に研究者)の流動化をはかり、日本も世界に貢献するためには、大学院の授業を英語化した方がよいのだろうと思う。一方で、大学の学部教育の英語化は反対。さらに言えば、初等教育中等教育における授業の英語化も反対。

理由は、新たな概念(目標言語)を理解するために使用する言語(メタ言語)が英語になったら、日本人の科学リテラシーは今以上に落ちるに決まっているから。私の観察では、いろいろな人が数学を嫌いになる理由の第一は、新たな概念を学ぶのに数式や数学記号の理解が必要であるため。これは、例えるならば、日本人が英語を学ぶときに、英語を学ぶための教科書や文法書、解説書が中国語で書かれているようなもの。英語のいろいろなことを理解する前に、英語を理解しなければいけない。十分に教材を工夫して、教える時間も十分にとれるならば、多くの児童や生徒がついていけるかも知れないが、日本語で授業をしている場合とくらべてついていけない児童や生徒がでてくるのは数学の観察結果から考えてほぼ確実。

ちなみに、ちまたでよく見る分かりやすい数学の本というものは、数式を使わずに新しい概念を日本語やイメージ図などで理解させる本。

やる気のない生徒に教えるということは真面目に考える必要はないんじゃない?のコメント欄で「人文科学・自然科学の知識は増大の一途をたどっているが、高校卒業時までに学ぶことはその知識の増加に追いついていない。増加分の知識を学ぶ場は、大学しか存在しない(経済学、計算機科学、法学、行政学、学際領域など)。」と書いたけれども、大学は、高校までに習ったことの無い知識を学ぶ場としての機能をもっている。このような機能を持っているのにも関わらず、ここの部分を英語での教育にしてしまうと、日本全体からみて、これらの高校で学ばない分野についてのリテラシーが落ちてしまう。

以上より、大学院教育において英語で授業が行われるのは賛成(感情的には反対というよりも「怖い」)、でも、大学学部までの教育については、教え方と内容に吟味は必要なものの、従来どおり日本語で行うことに賛成。

追記

tsugo-tsugo 院は英語ガンガン使うべきでしょ。/今ふと思ったんだけど、この人の研究室って国際学会出すのデフォって前のエントリにあったよね。この人英語嫌いで英語話者怖いって、一体何のために国際学会だしてんの?

英語が嫌いでも、今の時代は英語で論文を書いて外部で発表してナンボの世界ですから、英語で論文書いています。日本語で良いなら日本語で書きたいのが正直なところ。国際会議に投稿して、参加してくる目的は、自分の研究成果のアピールと情報交換、ならびに情報収集です。まあ、私の英語力が高くないので効率は悪いでしょうが。

怖くたって、やりたくなくたって、やらなければならないことはやるしかないからやるんです。