合意マトリックスと有効な協調ツール

教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革するガードナーの多元的知能とアメリカの公教育の続き。

この本で特に勉強になったなぁというのは、民主主義的プロセスは常に最良の手段ではないという主張だ。とても当たり前のことだけれども、状況によって有効なやり方は異なる(逆の言い方で言えば、どんな状況においても常に有効なやり方というものはない)ということ。

この本では、ある組織が目標に向かって一眼となって到達できるように、組織の構成員同士に協調行動をとらせるための技術(動機付けツール、先見性のあるスピーチ、脅しなど)を「協調的ツール」と呼ぶことにしている。そして、この本の著者らの主張は「協調ツールは組織がおかれている状況によって、効果が異なる」ということ。以下の図は、組織がおかれている状況を縦軸に目的(求める成果、価値基準や優先順位、成果を実現するために行う用意のある取捨選択など)に関して関係者がどれぐらい合意しているかをとり、横軸に実現する手法(どのような行動が望ましい結果をもたらすか)に関して関係者がどのぐらい合意しているかをとった図。


  • 上の図の左上の領域(目的合意、実現手段非合意):組織の一員として実現したい目的については合意しているが、どうやって目的を達成するかの手段については合意していないという組織。例えば、1995年にNetscapeInternet ExplorerのWebブラウザ戦争を戦っていた当時のマイクロソフト
  • 上の図の右下の領域(目的非合意、実現手段合意):目的に対して合意はなくても使用する道具や手段・手法については合意が見られる組織。例えば、独立契約者や組織労働者を雇う企業。独立契約者や組織労働者は、企業目標への思い入れがほとんどなくても、指定された手法が望ましい成果をもたらすという認識があれば進んでその手法にしたがう。
  • 上の図の右上の領域(目的合意、実現手段合意):何を目的とするかそれをどうやって実現するかについて合意がとれている組織。たとえば、アップル。シリコンバレーでは、「アップルは文化にカルトを持ち込んだ」と言われているらしい
  • 上の図の左下の領域(目的非合意、実現手段合意):目的も実現手法も非合意な組織。典型例がバルカン半島

教育機関は、左下の領域に属する組織になりやすいとのこと。自分が所属する大学を考えてみても、学科単位ならまだしも、学部、大学全体となったら目的非合意、実現手段非合意だ。

この本では組織の状態を移動させる要因として二つの提案がされている。

  • 成功:組織の結成当初は左下(目的非合意、実現手段非合意)からスタートすることが多いが成功を通じて右上方向に移動していく。逆に失敗は組織を左下方向へ移動させる。
  • 共通の言語と問題を定義する共通の手法を与えられること:組織の成員が何らかの確かな理論をあまねく理解したとき、この要因が働く。ただし、成員が進んで学習するという条件が必要なので、成功よりも移動の要因として強力ではない。

一方で、各状態で有効な協調ツールは異なるとのこと。各状態で有効な協調ツールは大きくわけて4つに分けられる。

  • 権力ツール:組織の成員の間で目的についても、実現手段についても合意がとれないときに唯一協調行動を促すことができるツール。専断的命令、強圧、強制、脅迫など。合意度の低い状況で唯一効果があるのはこのツールであり、かつ、組織の権力者層の手によってこれが用いられなければならない。しかし、民主主義国家ではこのような手段の多くが法律で禁じられているため、公共部門の幹部はこのツールを用いることができない。
  • 管理ツール:プロセス志向の特徴を持つ。実現手段について合意しているならば使えるツール。教育研修、業務手順(マニュアル化)、業務評価制度などがある。もし、関係者が新しい手法が古い手法より望ましい結果をもたらすという共通認識を持っていなければ、新しい業績評価制度や業務手順の教育研修を受けても、それまでと違う行動は期待できない。研修の効果は研修そのものの質よりも手法に対する共通認識の度合いによって決まる。
  • リーダーシップ・ツール:結果志向の特徴を持つ。目的を合意しているときに有効なツール。カリスマ的リーダー、ビジョン、モチベーションを高めるスピーチなど。合意マトリックスの左上の領域に位置する従業員が、士気を高める先見性に満ちた行為とみなすものを、下方の領域の従業員は無視または軽視るうことも多い。目的に関する共通認識がない状況では、ビジョン声明やモチベーションを高めるためのスピーチは、あきれた表情を引き出す意外、ほとんど何の効果も及ぼさないことが多い。
  • 文化ツール:目的合意と実現手段合意ができている組織では、従業員は同じ方向に向かって進みつづけるためにほとんど無意識に協調行動をとる。従業員の間には優先事項についても、その優先事項を実現するためにとるべき手法についても深い共通認識がある。この種類のツールとして、社内の行事や言い伝え、民主主義などがある。しかし、このツールは変化にまったく対応できなくなるときがある。文化ツールは、現状を維持するための協調行動を促す効果しかなく、変革を起こすためのツールではない。

上の図は、協調ツールがどの領域において有効かを図示したもの。真ん中にある、交渉、戦略プランニング、金銭的インセンティブといったツールは、目的か実現手段についての合意がほとんどない場合(すなわち、図の左下の領域)には効果がない。

また、この本の著者らは、すべてのツールが失敗した場合に使える切り札として、ツールとして「分離」というツールを提案している。このツールは、対立を抱えた関係者を別々の集団に分離して、集団の内部で強い合意を保たせながら、他の集団と合意する必要を取り除いてやることを言う。たとえば、ユーゴスラビアのチトーがなくなったあとのバルカン半島では、カリスマ性(アメリカのクリントン)、セールス力(イギリスのブレア)、民主主義や交渉、経済制裁や経済的インセンティブなどが試されたがどれもうまくいかず、最終的に分離独立を認めることでバルカン半島に平和がおとづれた。破壊的イノベーションの研究においても、リーダー企業が破壊的イノベーションがあっても、リーダーを維持できた例は、分離ツールを行使した例だけに限られたとのこと。

この本の著者らは、公立学校のほとんどは目的も実現手段も非合意の組織であり、かつ、権力ツールが使えない状況にあるため、分離ツールだけが唯一の協調行動ツールだと主張している。

私はこの分析は非常に有意義なものだと思う。他社や他組織が行って成功した方法を自社や自組織にそのまま持ち込んでも失敗する理由がこの分析によってかなり説明できるように思える。

研究室も小さいけれども組織なのでよく考慮しないといけない。できれば、右上の文化ツールが利用できる領域になれれば良いのだけど、現実的には右下の実現手段の合意がとれた組織を目指すべきだろう。研究室に配属される学生には、研究者になりたい人、技術者になりたい人、起業したい人、研究が好きな人、研究が苦手な人などさまざまにいるから、目的の合意はやりづらい。せいぜい、「卒業・修了する」というぐらいの合意かな?