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失敗したときは対面ベースで謝罪すること

自分は、今考えると血迷っているとしか思えないのだが、「卒論の先生は日本語の論文誌を下らないと思っている→ただし、先生の名前が自分の後ろに付く以上、やはり先生としては見ないわけにはいかないだろう→今回は自分のわがままで日本語の論文誌にしたいといいだしたのだから、自分の単著で論文誌を出したら先生は責任を負わずに済むのではないか」などと考えてしまい、「この論文を単著で出したらどうなるのですか?」と卒論の先生に聞いてしまった。
理系では、学生が単著で出すのはあり得ない。
(文系では、どんなに先生が直したとしても単著で出すのが基本かもしれないが・・・)
当然、卒論の先生は怒ってしまった。
自分はすぐに、謝罪のメールを送ったが、それ以上に、自分自身が情けなかった。

結構良くある話ではないかと。私も研究室で進めている研究の流れにある研究成果において単著の論文を投稿して指導教員に激しく叱られたたことがある。正直学生のときには(実は助教になっても)、知らないこと分からないことがたくさんあるので、ちょっとした誤解でとんでもないことをしてしまうことが多い。

でも、逆の観点で考えれば「失敗できるぐらい何かについて積極的に行動した」ということなのだから、失敗を恐れて何をしないよりははるかにマシ。

引用したエントリーで言えば、素朴な誤解なのだから、先生に直接会って、どうしてそういう風に考えたのかということを丁寧に説明し、傲慢な考えからそのような申し出をしたのではないということがわかってもらえるようにすれば特に問題ない。

ただし、謝罪の際に重要なのは対面コミュニケーションで謝罪するということ。メールなどの文字ベースのコミュニケーションをこのようなときに使うのはよろしくない。文字ベースのコミュニケーションの一番の難点は、文章の解釈の訂正がその場で行えないところ。文章の解釈は相手に完全にゆだねられてしまう。特に謝罪が必要な場面においては、相手は自分に対してネガティブな感情を持っていることが多い。そんなときに、文章を送ろうものなら普段よりもよりネガティブな解釈をされてしまうことは間違いない。

メールを使って謝罪するならば、とりあえずのリアクションという形で使うべき。

  • まずは丁寧な言葉で謝罪
  • 次に後ほど伺ってあらためて謝罪させてもらいたいこと

この2点のみを伝えるのが無難。理由をメールで書くのはすぐに謝罪に赴けないときしかやらないほうが良いと思う。

相手が怒ったことに対して、意味がわからない場合はますますメールでやりとりするのはまずい。出来る限り、対面、ダメならば電話で相手に尋ねるべき。そのときに、こちらが感情的になってはいけない。「私は何か相手にとってショックを受けるようなことをしたに違いない」とまずは謙虚に考えて、相手が何に対して怒っているのかを確かめるべき。相手が何に対して怒っているのかを確かめられたら、それに対して反論するなり、釈明するなり、謝罪するなりすれば良い。

私も、現在のボスに部屋に呼ばれ1時間ぐらい説教されたが、「私に対して説教してくれるというのは、私に成長して欲しいと思っているからだ。」と自分に言い聞かし、怒っている理由を丁寧に確かめた。結果として、ボスの誤解であるといことがわかり、誤解を解くことができた。もし、「俺は何もしていないので説教かましてくるとは!ふざけるな!」という姿勢で臨んでいたら、ボスとわだかまりができてしまっていただろうと思う。

社会人の方々は既に痛感していることと思うけれども、多くの場合、失敗したことそのものよりも、失敗した後の振る舞いの方でがっかりさせられることが多い。失敗は誰にでもある。失敗したときにどのように振舞うか?失敗を繰り返さないためにどのように自分を律するか?失敗を償うためにどのように行動するか?こっちが重要。

私の考えでは、特に「失敗を繰り返さないためにどのように自分を律するか?」が重要だと思う。多くの学生がこの部分を心がけや精神論、すなわち、「今度はこういうことが起こらないように気をつけます」ですましてしまう。でも、本当に失敗を繰り返さない学生は、システムを構築して、そのシステムによって失敗を防がせるているように思う。たとえば以下のとおり。

  • 寝坊を繰り返すならば、目覚まし時計を増やす、家族に協力を頼む、友達にモーニングコールをしてもらう。
  • 指示された仕事を忘れてしまうならば、ToDoリストで仕事を管理する。
  • 先生からのメールを読み忘れるならば、自分の携帯に転送する。Gmailなどに転送してどこでも読めるようにする。
  • 研究が自宅で進められないならば、とりあえず研究室へ来る。先生に毎日自分から報告する。

私は、助教になって2年目にあまりにも仕事のし忘れが増え、精神的に追い詰められた。やばいと思い、一生懸命仕事管理の方法を探しているところにGTDの考えに出会い、以後、ニセGTD(毎週の振り返りをしていない)で仕事を管理するようになって、仕事のし忘れが減った。これに味を占め、2006年にお世話になったLife hack関係の技術&Webサービスで書いたように自分の記憶をWebサービスアウトソーシングするようになった。ブログでいろいろ書いているのも自分が考えたことや思ったことをブログに覚えてもらうため(私は必要なときまで詳しい内容を忘れていられる)。

謝罪は時間が経てば経つほど価値が減ずるものであるから、出来る限り早く、対面で謝罪し、気分を楽にしておくほうが人生楽しく生きられると思う。まして、学生なんて何のために大学通っているのかといえば、社会人になる前に思いっきりたくさんの失敗をするために通っているのだから、失敗したこと自体に打ちのめされていてはいけない。失敗したときの対処法、失敗した後の対処法を試行錯誤的に、あるいは誰かからの指導により学んでいかないと。