何で研究室ネタを書き続けるの?

この身・技・態(浩坊拾遺) - C3140:Qulaxicsにしても、おそらく発声練習にしても、そして研究室ネタを(指導する立場から)書いているブログに共通する最大のジレンマは、そこに掲載するエントリをきちんと読んでるような学生だけを相手にすればよいのなら、そもそもこんなエントリは必要ない、ということです。ならばなぜわざわざこんなエントリを書くのか? 現時点での私の回答は以下のふたつです。

  1. このエントリを読んでいない学生に、このエントリを読んでいる学生を介して、たとえ断片でもメッセージが届く可能性に賭けているから。
  2. 私自身の考えを整理するため。

私が研究室ネタを書く理由を考えて見ますとこういうのになりますね。

  1. 私の考えややり方がまともかどうか心配でしょうがないから
  2. 私の中に学生の気持ちや考えが残っているうちに記録しておきたいから(未来の自分へのプレゼント)
  3. 頭にモヤモヤさせておくとしんどいから
  4. 書くことで自分の考えを発見し、発見することで考えが深まるから
  5. せっかくなので、誰かのお役に、あるいは暇つぶしになると嬉しいから

考えてみてびっくりしたのが「 私の中に学生の気持ちや考えが残っているうちに記録しておきたいから」という動機ですね。私は、助手(今は助教)として着任して4年目ですが、どんどん自分が学生だったときの考えや感じ方を忘れるのに驚くことしきりです。何か先生目線が固定してきているのが怖いです。

しかも、大学教員になる前は、「大学の教育なんて、1年単位ルーティンワークの繰り返しだろう。俺の本当の仕事は研究だ。」と思っていたら、毎年、毎年、昨年は起こらなかったトラブルや昨年はお目にかからなかった性格の学生、去年はうまくいったのに今年はうまくいかない方法などが目白押しで、過去3年間1年たりとも同じだった年がありません。どうも、これから運良く数十年この職を続けられたとしても、毎年何か新しいことが起きそうです。