専門家が「定義バカ」に見える理由:正しい説明がしたいから

ある分野の専門家として訓練されている人とその分野では専門家として訓練されていない人が議論したときに陥る典型例として秀逸。コメント欄の小倉弁護士と他の方々とのやりとりがまさにそれ。

このエントリーを読んでもやもやしたやりきれない気持ちになった人は以下のエントリーを読んで解毒すること。たぶん、もやもやの理由が言語化されている。

もちろん問題をこじらせた原因の一部は専門用語の誤用にある。変にそんなもの使うんじゃなくて自分の要求を「日常用語でそのまま主張」した方が良いという点にも同意するところである。

ある分野の専門家は自分の専門分野において間違った事柄を言いたくないので「正確な言葉」で説明しようとする(別名、揚げ足とりを恐れるともいう)。この「正確な言葉」で説明しようとし始めると、使用する言葉はできる限り、あいまいさが無いものを使用しようとする。このとき、専門家と非専門家の間にコミュニケーションの溝ができる。専門家は「正確な言葉」による「正確な説明」にこだわり、わざと言葉の意味を限定して使う(限定できないような言葉を使うときにはくどいくらい説明する)。正確に説明を理解してもらうため、非専門家が専門用語を拡大解釈で使用した時にはきっちりと意味を限定させる。理由は、「正確な説明」ができないから。場合によっては、わざと文脈を読まず字面のみで解釈をする。裏読みをすると相手の発言を拡大解釈してしまうことがあるから。

私が考えるにこのコミュニケーション作法は、文書によるコミュニケーションに代表される非同期コミュニケーションの作法に端を発している。たとえば、文書による非同期コミュニケーションは読み手が文書を読むときに書き手が補足説明をすることができないため、対面や電話による同期コミュニケーションとは違い、誤解されないような文章や言葉を用いて行われる。また、自分が読み手であるときには、相手の伝えたいことを誤解しないように文章に書いていないことをわざと読み取らないようにする。

このコミュニケーション作法は専門家同士ではうまく機能するのだけれど、専門家と非専門家の間だとうまく機能しない。理由は、使っている言葉が違うため。専門家と非専門家の間でコミュニケーションを行い互いに伝えたいことを理解するためには、あいまいな言葉(意味が限定されていない言葉)から文脈を考慮して相手の言いたいことを汲み取らないといけない。場合によっては、自分の伝えたいことの概略を理解してもらうため、厳密な意味では正確でない説明をすることもある。このため、当然のごとく誤解が生じ、間違った説明が残る。

もし、専門家と非専門家の間に信頼関係がなければ、生じた誤解や間違った説明を種として、専門家の専門性に対する非難が発生する可能性がある。このため、専門家と非専門家の間でコミュニケーションをとるときには、あらかじめ、誤解や厳密に言うと間違った説明が生じることを理解した上で、コミュニケーションをとらなければならない。

大学の教員が非専門家である卒論生に対して、専門家特有の「正しい説明」を仕掛ける理由は、卒論生が今は非専門家でも将来は専門家になるからだ。なので、あらかじめ「正しい説明」のやり方やまだるっこしさ、難しさを理解してもらうために、明らかに卒論生がそんなつもりで使っていない言葉に対して、ネチネチとツッコミを入れる。で、ツッコミをいれられた卒論生は怒りと不条理を覚えるとともに「自分の使っている言葉は間違っているのかな?」という疑念を抱き、自分が知らない専門用語は使わないという基本姿勢を理解していく。

というのが私の考え。なので、以下のポイントを抑えて専門家と非専門家間のコミュニケーションをしようと思う。

  • 自分が専門家である分野において、その分野の非専門家と議論をするときには、あらかじめ説明が厳密に言うと正しくなくなるし、誤解が生じる可能性あることを相手にも説明した上で、文脈を読み取ってコミュニケーションをする
  • その逆のときには、できる限り専門用語をしったかぶりせず、日常的用語だけで自分の言いたいことを伝えるようにする。もし、専門用語を使うときには「私はこの言葉は〜という意味として使っています」と断りを入れるようにする