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試験やレポートを作る立場に立つと(その2)

話がそれてしまった。本当に書きたかったのは授業するのって案外難しいし、試験問題やレポート作るのってかなりプレッシャーなんだよということ。

結論から言うと、

  • 授業に出てちゃんと聞いている方が教科書を自分で読んで自分で勉強するよりも効率が良い
  • 文部科学省も親御さんも学生もみんなが文句を言ってくるので、「授業でていないヤツが通らないようなテスト・レポート」を用意するのはきつい
  • 受講者が50人を超えるような授業において、学生の理解度を本気で試すテストやレポートは問題作成と採点の負荷が著しく高いのできつい。
  • 過去問、過去レポをあんまり表立ってやられると、学生の理解度を本気で試すテストやレポートを作りづらくなるので止めてほしい

大学の授業は、高校までの授業と違い「何を教えるべきか?」「どこまで教えるべきか?」に自由裁量がある。各分野ごとに定番と呼ばれる内容(たとえば計算機科学であれば計算論、アルゴリズム論、データ構造論、コンパイラ論、離散数学線形代数、論理学など)はあるが、学部・学科・コースの位置づけ、他の講義との関連性、輩出したい学生像、在籍学生の実像から、定番と呼ばれ内容でも取捨選択されているのが一般的。さらには、学生が良く間違えやすいところ、理解しづらいと予想されるところをフォローするので、教科書と講義を比べると講義の方が受講している学生に特化した内容になっている。なので、受講している学生にとっては教科書を自分で読んで勉強するよりも、講義をちゃんと聞いたほうが効率が良い。定番内容でない講義においては、完全に教員の創造性に任せられているので多分教科書自体存在しない。

古くからの大学の先生方はなんだかんだいって「とても良く勉強してきた人間」なので、授業にでていないヤツらは授業に通らなくしたい気持ちは多分にある様子。一方で、「テストに受かるぐらい勉強しているなら、それがどこで勉強したのかはどうでも良い」という自分の授業を否定するような発言をする先生もいる。でも、最近はいろいろとお達しがあるのでいろいろ難しい

  • 会社からまともな人間を輩出しろ!という圧力があるので、授業をより厳格に実施しなければならなくなった。具体的には出席数のカウントが義務付けられるようになった。
  • 情報公開の流れにより、成績評価に関わるすべての資料の4年間以上の保存が義務付けられるようになった。このため、出席をとらない授業をやりづらくなった(実際に推奨されていない)
  • 不正な授業料確保の防止のため、学生定員が厳しくチェックされるようになった(超過するとペナルティ)。このため、留年を多くすると学生定員が超過するので大学にとって明確なデメリットに成り始めた
  • 「留年率が高い大学=学問に厳しい大学」という評価ではなく「留年率が高い大学=面倒見の悪い大学」という評価になりつつあるため、留年率が高いことが大学にとっての明確なデメリットとなり始めた
  • 大学の高校化が進んでいるため、留年生に対するケアを大学がしなければならなくなった。このため、留年する学生が多ければ多いほど、教員の仕事時間が学生へのケアとその保護者への対応にとられてしまう(余談だけど、私なら「大学生なんだから、こちらが留年しようがしまいがこっちの勝手にさせてくれ」と思う。明らかに大学の余計なおせっかいだ。)
  • 不景気、就職難、正規雇用と不正規雇用の格差がミックスされて、新卒として就職できないということの重みが増した。この結果、授業の単位を出すか出さないかが、かなりシリアスに学生の人生を決めるので、その学生を不可にするということについて多大な決意が必要とされる(思いつめたような顔した学生が来るのは本当につらい。「オマエが授業でて勉強してないのが悪いんだろ」とは思うが、「ボクはもう内定もらっているんです」なんていわれると…。私は幸いにしてそういうシーンがあるのは卒論指導だけだけど。)

以上をまとめると、現状は「授業でていないヤツが通らないようなテスト・レポート」を用意するインセンティブよりも、「よっぽどだめなヤツ以外は通すテスト・レポート」を用意するインセンティブの方が高いのが現状(あくまでも私の意見だけど)。

次に現実問題として、「授業でていないヤツが通らないようなテスト・レポート」を用意する場合、これがかなり難しい。簡単なのと難しいのはつくるのが簡単だけど、ちょうど良いテスト・レポートを用意するのは知識と技術と経験がいる。基本情報処理技術者試験の午前問題のように問題数が多ければ、授業にでていたヤツとでていなかったヤツを振り分けるのは簡単。だけど、作問と採点は吐きそうになる。テスト・レポート実施に費やす労力を適正に保つためには、問題数はそこそこで、かつ、授業にでていたヤツとでていなかったヤツを振り分ける問題を探さないといけない。

「授業でていないヤツが通らないようなテスト・レポート」はどういう性質を持つべきかについての私の今の時点での考えは次のとおり。

  • 授業で習った知識の応用である(そのままではない)
  • 教科書や配布プリントの丸写しでは答えられない(ポイントの絞込みが必要)

このような問題は教科書にないので自分で作らなければならない。大学入試や大学センター試験は問題作成にある程度の人員を割いて問題の重複を防ぐようにしているが、一つの講義の試験問題を作るのは常に一人なので良い問題を探すのはとても大変。新米大学教員たる私はテストやレポートを作るのに1週間(断続的にだけど)ぐらいかかってしまう。

こんな風にして苦労して用意した問題も。過去問と過去レポの魔の手にかかっては、赤子の手をひねるがごとく輝きを失ってしまう。これが、学生間の互助的運動ならばまだ「コミュニケーション練習の一演習として認めてやるか」と思わないでもないけど、過去問と過去レポ共有をビジネスとしてとらえるなんて言われると正直「ふざけんな」と思わざるを得ない。もう、そんな人たちには大学の卒業資格をお金で売ってあげたい。「学位(金銭による)」と卒業証書に記載して。まあ、対処法はないので、がんばって新たな問題探すしかないけど。

以上、愚痴。結局言いたいことは「私もがんばって授業するから、あなたもがんばって勉強して」ということ。

ちなみに、どう考えても授業を受けている学生よりも授業を準備している先生の方が勉強している。小学校〜高校の先生方は毎週数時間も授業があることを考えるとすごい重労働なんだなぁといまさらながらに尊敬。

現在の心境&方針としては、

  • 授業をまじめに出ている人にはそのまじめさに対して何らかの報酬を与える(なので、授業でしか聞けない追加知識や役に立つ雑談などをしている)
  • 学びたい人にはちゃんとした知識を、単位が欲しいだけの人には単位を与える
  • どうせだから、授業の準備を通して自分も勉強する