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試験やレポートを作る立場に立つと(その1)

立場が変わると見かたが変わるというのは本当のこと。講義ノートの共有(金銭授受含む)のお話。

そのノートを見るだけで試験を乗り越えられるくらいの学力がつくのならそれは歓迎すべきことだし、もしノートを見ただけで試験を乗り越えられるようなら、授業がその十数枚の紙程度の内容しかなかったということになるか、実力を問うような試験をつくることができなかったことになる。「授業にでている人にだけわかる問題」というのが確かに存在するのだろうけど、それは講義ノートをみればすぐにわかるような単なる合い言葉ではなくて、本来は「授業の内容を理解していれば解ける問題」なので、講義ノートを見ただけでその問題が解けるのであれば授業の内容を理解しているのでやっぱり問題は無い。

「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。

講義に直接出席しないと、得られないものは何か?とてつもなく曖昧な、問題意識です。私は、「そんなものはない」と思います。

学生時代はほとんどすべての上の意見に賛同していたと思う。特に学部生時代は、自分の興味の範囲外の授業も受けなければならなかったのでその授業は苦痛だったし、テスト勉強は苦行だった(専門科目においても自分が好きなものと嫌いなものは当然ある。そして、多くの大学では必修科目や取得単位数に下限をかけている)。

一方で、卒論が始まり、大学院へ進み、博士課程を終え、研究者への道を歩みだすと急に意見は変わる
「何であのときオレはもっといろいろな分野を勉強していなかったんだぁ!!」

まあ、こういう話は研究者だけではなくほとんどの社会人の方が言うこと。私の知り合いの先輩曰く「大学での勉強の価値なんて社会人になってみなければわかるわけない」。多くの方が賛同してくれると思う。

特にアイデア出しが重要な創造的な職業の方々にとっては、自分が興味をもっていなかった分野の知識の量というものがとても重要だということが分かっていると思う。アイデア出しの基本は、「ある分野において当たり前のことを別の分野に持ってくること」だからだ。詳しくは以下の本をご参照のほど。

別の側面からみて、どうせ授業にでなければならないんだからその境遇を諦めて一生懸命勉強して、将来の自分への贈り物にしたら良いと思う。まあ、言うは易し、行なうは難しだけど。

続く