たしかに天使じゃない人もいる

無垢な障害者もそれはどこかにはいるかも知れない。でも、無垢でない障害者もそして絵なんか描けない障害者もおそらく山ほどいるでしょう。率直に言えば、そんな人の方が圧倒的に多数でしょう。福祉というなら、その人たちにだって適切な支援をするロジックでなければいけない。そうでなければ障害者を単なる「安易な善意の矛先」として消費するだけではないんですかね。

福耳コラム:天使なんかじゃなくてもより)

確かに。

小学校のころ学童保育に通っていて知的障害の子も一緒に通っていた。何人かは素直な良い子(でも私より年上)で相撲や野球が大好きでよく選手名鑑なんかを嬉しそうに見せてくれた。わけわからん遊びも良くしていた。一方で本当に嫌な奴もいた。都合の良いときだけ幼児退行起こして、そうじゃないときはそれなりのずるがしこさを発揮して。しかも、やけに力が強くて印象はまさに類人猿だった。嫌いだったからこちらも負けずに思いっきりぶん殴ってたけど。

小学校・中学校と別の知的障害者の女の子がいた。全くかわいくなく、それなりのずるがしこさを持っていて、しかも手がかかる。好きでもなければ、嫌いでもなく、めんどうな奴だった。掃除の時間になるとわけわからん理由をつけて、どっかにいこうとする、寝る、泣き出す。給食の時間はおとなしくすごす。今でもたまに見せるずるがしこい目が忘れられない。よく小さい子が親をだまそうとするときの目だった。

子どもが天使でないように、老人が天使でないように、障害者も天使ではない。まあ、やっぱ人間だよね。天使だったら良いのに。お世話してあげる対象が天使であるのは理想だもんね。

でも、世話をされるほうからするとしんどいよね。そりゃあ、人間として扱ってくれ、同等として扱ってくれという主張する人がでるわいな。でも、福祉の対象になる人たちは、自力では生活をおくれないので福祉の対象になっている。お世話される側のかなりなあきらめとお世話する側の自制と配慮が、どうしても両方とも必要となるんだろうな。

むしろ、完全にお金を介したビジネスライクな付き合いの方が世話される人、世話する人の双方にとって楽チンだろうなぁと思う。