書き初め:新年の決意

Life is beautiful:「書き初め」でよくない?に触発されて書き初め。

昨年末、といっても一週間前だけれども、知り合いの外国人に「日本人は面白い。用途によって宗教を変えるなんて。新年は神社、結婚するときはキリスト教、子供が生まれたら神社、遊びの行事はキリスト教(クリスマス)やら仏教(お盆)。死ぬときは仏教。」といわれた。あんまりに当たり前すぎて言われてみるとよく言えば柔軟、悪く言えば節操なしの振る舞い。たしかに面白い。

忘年会で「人と人との出会いが重要。自分の分野で当たり前のことが他の分野では驚きの発想ということがありえる。だから、他の分野の人とも積極的に雑談して、お酒飲んで新たな発想に出会いたい」と友達がいっていた。

別の忘年会で、「今の自分が不安。いろいろな仕事をちょっとずつやらされているので技術力が中途半端になってしまっていると思う。」と別の友達が言っていた。

自分のことは自分が良く分かるというのは、ほとんどの場合うそだと思う。自分のことが良く分かるのは、自分ではない異質な他人が存在し、自分と他人の違いがはっきりと認識できたときに、自分のことが分かる。日本にずっと暮らして、日本人としてすごしていると、目的に応じて異なる宗教を使っているという感覚は生まれないし、他分野の人と会わなければ自分の常識が別分野の非常識・新発想なのに気がつかない。自分の技術力が中途半端かどうかは、外の人と比べてみなければ分からない。

周りの教員の方々、学会で出会った方々の話や今までの自分を省みるに、自分は文献調査能力にかなり難がある。特に英語文献は苦手中の苦手。一方で、既存の知識を組み合わせて、アイデアにするというのはそれほど苦手ではない。むしろ自分の得意な事柄になっている。

だから、今年の課題は、苦手な文献調査能力を向上させるのが第一の目的。一方で、苦手に真正面から向き合うのはリスクが高い。ダイエットには一度も成功したことがない自分の過去から考えれば、自分の高いモラルに将来を託すのは危険すぎる。なので、何らかの方法でリスクを回避する必要がある。

大学教員の日常・非日常:脳味噌嵐

学生の想像力が貧困、というのは、たんに知識がない、経験がない、実例を知らない、それを埋めるだけの読書や体験をしようとしない、ってなとこに原因があるわけで、それをブレインストーミングで補うことはできないのです。

知っていなければ、それを組み合わせて新しいアイデアにすることができない。新しいアイデアを得るためには知っていなければならない。さまざまなことを玉石混交で集めて、それを組みなおして、置き換えて、削って新たなアイデアを得る。知識を増やす第一歩は、正確な意味はわからないけれどもどの分野のどういう文脈かで知っている程度の言葉。こいつをどれくらい多く持っているかが、知識を増やすための基盤になると思う。

そのような言葉は、第一に他分野の人に質問するきっかけとなる。単純に「***っていう言葉は知っているのですが、どういうことかわかりません。よろしければ教えていただけますか?」と言えば良い。第二に、調査の難しさの軽減になる。昔、夜、工事現場で作業場所を照らす発電機とランプがくっついている工事機械の購入を考えたときに、こいつがどんな名前なのかさっぱりわからず、Googleで数時間検索したことがある。2時間ぐらい検索して、この工事機械の名前が「投光器」であると分かってからは、あっさりと値段、売っている場所、詳しいスペックがするすると見つかった。全く分からない事柄を探し始めるよりも、名前が分かっている事柄を探し始めるのはとても簡単。そういう意味で「言葉」を知っているということだけでも、知らないよりは大幅にまし。

なので、今年も積極的に外部に情報収集に行き、苦手な文献調査能力を耳学問でカバーしていこうと思う。現時点での「耳学問で文献調査能力をカバーしよう」の行動予定としては以下のとおり。

  • 国際会議には最低一回参加しよう
  • 展示会には最低二回は見に行こう
  • IPAフォーラムは今年も行こう
  • 群衆の叡智サミットが開催されたら今年も行こう
  • 飲み会は誘われた基本的に断らないようにしよう
  • 高校、大学の人脈はメンテナンスして、途切れさせないようにしよう
  • できれば、国内学会のセミナーにいくつか参加しよう

異文化、異業種、異分野、異性との出会いを大切にして、2008年度はがんばることにする。