専門家という種族の典型的側面がよくわかる話

孫引きでごめんなさい。あまりにも面白いエピソードだったので

ペンシルヴェニア大学で製作されたENIACコンピュータの話はテキストで紹介した。このチームのリーダーだったモークリー、エッカートらと喧嘩別れしたフォン・ノイマンは、プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study, IAS)に帰り、そこでプログラム内蔵式のコンピュータを作り始めた。この情景は、エド・レジスの愉快な本『アインシュタインの部屋』上(工作社、1990年、大貫昌子訳)で次のように描かれている。

〜中略〜

ENIACのプロジェクトはすでに始まっていた。このスポンサーは陸軍の弾道研究所で、ハーマン・ゴールドスタインが研究所とENIACチームとの調整役となり、アバディーンフィラデルフィアの間を頻繁に行き来していた。ゴールドスタインは駅でフォン・ノイマンを見かけ、挨拶をした。これは1944年8月のこと(ENIACは完成間近)。

「それまで僕はあの大数学者には一面識もなかったんだ」とゴールドスタインは言う。「だがもちろん彼のことはいろいろ聞かされていたし、その講義にも何度か出たことがある。何しろ相手は名だたる大学者だ。だから思いきってそばに行き、自己紹介をして話ははじめたものの、まったくおっかなびっくりだったよ。ところがありがたいことにフォン・ノイマンは気さくなあったかい人柄で、こっちの気を楽にさせようとしきりに気を配ってくれた。そしてあれこれ話しているうち、まもなく話題は、僕の仕事のことになったんだ。この僕が一秒、333ものかけ算をやれるような電子計算機の開発に肩入れしているときくやいなや、今までの気楽な世間話のふんいきはガラリと一変して、まるで学位論文の口頭試問みたいになってしまったよ。

上記引用文の太字にしたのは私です。世間話はにこやかにできるのに、自分の興味のある分野に入った瞬間スイッチが入って、根掘り葉掘り、正確さを要求して質問をしてしまいたくなってしまうのが専門家の性。実際に質問してしまうのかどうかは個人のキャラクターによるけど。上記のエピソードはそんな点がよく分かって面白い。私も『アインシュタインの部屋』という本を読んでみよう。