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叱る効果(注意:以下、素人談義です)

「てめぇら、練習休みやがったらただじゃおかねぇぞ。風邪ひいた、足がいてぇ、用事があるとかぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言い訳ばっかりいいやがって。」

と、部活を無断欠席した奴に激怒した顧問が同学年の我々を集めて怒っていた光景とそのときの困惑というかやりきれない感を思い出した。

教師が怒る際、最悪なパターンの一つが、当事者以外に怒るという愚行である。

おっしゃるとおりだ。こういう叱責は、ボーダーライン上の人間に対してはある程度の効果があるけれども、ボーダーラインを超えたしまった人間には全く意味がない。そして、ボーダーラインよりも大きくこちら側の人間にとってはやる気がそがれる光景になってしまう。

集団を叱るときには次のことを考えなければいけないと思う。叱る原因となった事柄に対して、集団は大きく4つに分けられる

  1. 今回叱られる対象ではない、かつ、叱られる原因となった事柄を行なうことはない
  2. 今回叱られる対象ではない、しかし、場合によっては叱られる原因となった事柄を行なう可能性がある
  3. 今回叱られる対象である。しかし、叱られる原因となった事柄を行なったことに対して負い目を感じている
  4. 今回叱られる対象である。しかも、叱られる原因となった事柄を行なったことに対して何の負い目も感じない

「叱る」ことの効果は以下のように考えられる。

  • 教育
    • 叱る原因となった行為がこの集団においては許されない行為であること、また、その理由を認識させる
  • 規律の維持
    • 1のグループに対して消極的に叱る原因となった事柄を行なわなかったことを叱らなかったという事実によって相対的に褒め、2のグループに対して規律を破ったらこうなるぞという例を見せ、叱る原因となった事柄を行なうことを抑制し、3のグループに対して、再び同じ行為を行なうことを防ぐ
  • 注意喚起
    • 叱る原因となった行為がこの集団においては許されないということを思い出させる
  • 恐怖による行動の抑止
    • 叱る原因となった行為を行なったことに対して何の負い目も感じない4のグループに権力者の怒りによる何らかの不利益(物理的あるいは精神的暴力による肉体的・精神的ダメージを与えられる。権力により不利な状況に落とし込まれる。愛してもらえない。)が与えられることを連想させ、その不利益を避けるために叱る原因となった行為を行なわせないようにする

4のグループに対して意味があるのは教育と恐怖による行動の抑止だけだと思われる。そして、この二つは1にとっては意味がなく時間の無駄である。1のグループは既に知っているし、脅される筋合いもない。当然、1のグループにとっては叱責は不愉快なものである。

叱責をするのであれば、1と2のグループに対しては、規律の維持のために叱るべきである(というか、規律が破られていて悲しい、あるいは、怒っているということだけ分かってもらえればそれで良い)。場合によっては2のグループに対して、教育、あるいは注意喚起を施せば良い。

3のグループに対しては教育、規律の維持、注意喚起を行なうべきだと思う。具体的には、規律が破られたことによって、傷ついていること、怒っていることをわからせ、その上でなぜ、その行動を行なうべきではないかを理解させるべき。恐怖は無駄に反発を招く可能性があるので避けた方が良いように思う。

4のグループに対しては、恐怖による行動抑止をまず行い、可能であれば教育を施すべきである。それも無理ならば、隔離(放逐)するしかない。

話変わって、よくがみがみ言っても無駄で、必要なときにだけ怒るほうが良いという意見があるけれども、私はそれには反対。しょっちゅうがみがみ叱る役目の人とたまに雷を落とす役目の両方が組織の維持、あるいは教育には必要だと思う。その理由は、上述した私が考える「叱り」の効果による。

叱るという行為には教育の意味と規律の維持の効果がある。教育は繰り返し体験させなければ効果が薄い。また、規律の維持についても規律が破られる度に規律維持の意思を明確に見せなければならない。よって、教育と規律維持の観点からいえば、がみがみとしょっちゅう叱らないといけない。

しかしながら、しょっちゅうがみがみ言われているとそれに対して耐性が付いてしまう。また、規律保持を理解しない人間にとっては、そもそも効果が薄い。そういう相手に対して、恐怖による行動の抑止を行なうために雷を落とす必要がある。

よく、母親ががみがみ言い、父親がたまに雷を落とすというようなことが言われるが、私の意見ではこれは非常によくできたチームプレイである。実際、母親がいない家庭においては父親ががみがみ言うようになるらしい(伝聞だが)。教育と規律の維持の効果から考えればあり得る現象でだと思う。

アメリカンフットボールの良いチームは、コーチ陣ががみがみ細かく叱るが、ヘッドコーチはがみがみはやらない。たまにガツンと叱ってやるそうだ。

話が滑って滑ってこんなところまで来てしまったが、叱るという行為はいくつかの効果を伴う。集団を叱るときには、もっとも叱る効果を発揮させたい対象を考えて、その効果が最大になるように叱責の構成を考えて叱るべきである。そして、集団を維持するためには、誰かがガミガミさんを担当し、誰かが雷さんを担当しなければならない。

ガミガミさんは雷さんに比べて尊敬はされないは、嫌われるが損な役回りだが集団維持のためには誰かがやらなければならない。そう考えると、これまで家庭内でガミガミさんを担当してきた母親(あるいは母親役)の人には自分の子供や家族に対して深い愛があることに気づく。

こういう事柄に気づいた先人たちは良い言葉を残している
「叱られているうちが華」