何かについて誰でも行えるようになるとその品質は落ちるのか?

ウェブの進化は人類の進化だといわんばかりの梅田の戦略的オプティミズムには当初から批判があったが、『ウェブ進化論』から1年が経過した現在、ウィキペディアにしろソーシャル・ブックマークにしろ、むしろ「集合愚」じゃないかと揶揄されることが多くなってきた。まあ当然の話だ。猫でも杓子でも情報を編集できる以上、総和がノイズになるのは自明である。

総和がノイズになるのは自明。だけど、参入者数と平均値、トップのレベルの関係はどうなのだろう?

例えばスポーツ。日本において、サッカーの技術は急速な進歩を遂げたけれども、それは誰でもかれでもサッカーをやるようになったから。一方で、アメリカンフットボールは基本的に技術レベルが下がっているようにしか思えない。理由は、やっている人が少ないから。スポーツは競技人口が増えるとその技術の平均値はあがる傾向にあるような気がする(コーチ法の確立という要因かもしれない)。

Playstationではだれでもかれでもゲーム開発に参加したので、良質のゲームが大量に供給された。ダメなゲームも多かったけど。

なぜ、衆愚になると判断されやすいのか?それはWeb2.0と総称されるやりかたの方法に由来するのか?