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立場が変わらないと見えないものがある

初級者は、知っていることしか知らない。

中級者は、時に、自分の目に入るものを全て知っているので、全てを知っていると思い込むことがある。"中級者の誤謬"

上級者は、地平線の先にはあらたな世界があり、その先には、やはり地平線が広がっていることを知っているので、世界ノ全テを不用意に語らなくなる。

大学生3年生までは、高校の先生に比べて大学の先生はなんて無個性でつまらないのだろうと思っていた。高校の先生方の方が、人間味あふれていて個性的で、何よりも面白かった。大学4年生のときに研究室に配属されて、指導教官と長い時間を接するようになって、3年生までの感想が誤っていたのを知った。ただ単に先生方に接する時間が高校と大学では違っていただけだった。

大学4年生と大学院1年生のときは、自分の研究室の指導教官たちのすごさは分かってきたが、他の研究室の先生や他の学部の先生たちがたいしたことないものだと思っていた。ところが、実際に外部の国際会議や雑誌に論文を投稿し、何度も何度も不採択されることが続くうちに、また、外部研究資金に何度も投稿して、やはり不採択されるうちに、それをきっちりとこなしている先生方の凄みがわかってきた。あの人たちは少なくとも昔はすごい人たちだったんだと。

博士後期課程に入り、隣の研究室の先生と仲良くさせていただいて一緒にお酒を飲むようになると、その先生を縁として、他の先生方ともお酒を飲んだり、おしゃべりする機会が増えた。すると、彼らは自分の専門分野以外のこと、社会、芸術、政治、経済など幅広い事柄に関して貪欲と思われるくらいの好奇心とそれを知る手間を全く惜しまず(たぶん、手間と思っていない)とんでもなくくだらないことまで知ろうとし、実際知っていることが分かった。驚愕した。この人たちは現在進行形ですごい人たちなのかもしれないと思うようになった。

運が重なり、学位取得後に助手として勤めることになった。1年間わけもわからず教員の仕事をやった。助手なので講義はもてないが演習を数個任された。前期に1コマ、後期に1コマのたった年間2コマだけ。毎週毎週授業の準備に忙殺された。週の半分は授業の準備と復習に費やした。はっきり言ってここまで勉強をしたのは生まれた始めてだった。1年間が終わったとき、研究会で出会った私学の先生の言葉を思い出した「週5コマ授業が課せられている」。私は年間2コマの授業で事実上研究が全く進められなかった。彼らは年間10コマの授業を受け持ちつつ、研究会に参加し、場合によっては幹事すら務める。これは自分のことをよくみなおさなければならないと思わされた。

また、助手になると学科運営の実態が見えてきた。学科会議、教授会、各種委員会(安全、衛生、広報、施設管理、学部教育、修士教育、博士教育など)、予算案の決定、予算配分、学外交渉などなどしょっちゅう会議がある。これらの参加者は助教授・教授である。当然、人数が足りないので一人5〜6の会議は当たり前。特に教授になると学内のいろいろなプロジェクトの委員に任命される。一方で、研究費は削減方向にあるので、外部資金を調達するのも教員の役目。外部資金を調達するためには当然として成果が必要なので、個人であるいは学生と協力して研究をすすめる。最近は18歳人口が減っているので広報も重要な仕事。高校訪問やらオープンキャンパスやら、体験入学やらを適宜受け入れる。入試関連も先生の仕事。試験問題の作成、試験監督や面接を行なう必要がある。これらの状況を知った今、教授・助教授の凄さに圧倒されている。彼らはすごい奴らだ。

大学教員は、大学の業務と研究に対して適応できた人たちで構成されている。だから当然、他の業種や仕事、行動に関しては無知で粗野で役に立たないお荷物のわりには口だけうるさいというように写るかもしれない。けれども、教授になった人たちは大学業務と研究ということに関して最大限に適応した人たちなのは間違いない。大学の業務の内容や研究のあり方が変わるにつれ、その変化に適応できていない人たちは無能に見えて仕方がないかもしれないけど。

大学3年生〜今の助手として私はだいたい同じものを見て、同じ話を聞いていたはずなのに。立場、地位、職掌、果たすべき役割が変わるたびに同じ話、同じ景色から別の事柄を見出していた。「上級者は、地平線の先にはあらたな世界があり、その先には、やはり地平線が広がっていることを知っているので、世界ノ全テを不用意に語らなくなる。」だから、これは多分私にも当てはまるのだろうと思う。年長者が若者に比べて攻撃的でないのはやはりこの法則が働いているからなのだろうか?沈黙した穏やかな先輩、年長者が非常に凄みのあるつわものに見えてくる。