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連想ゲーム

メモ

つーか、なんだ、もし生まれつき頭がよかったとしたら悪いのか?勉強して偏差値上げて有名大学に入ったら責められなきゃなんないのか?

でも、社会に出て仕事するようになってから気づいたよ。そんな謙遜なんてクソの役にも立たない。学歴に意味なんかない。仕事はできるか、できないかの二択しかない。頭のよさを隠して目立たないようにする処世術なんて足枷以外の何物でもないんだよ。

痛いほどわかる。こういうところを早めに悟れるかどうかが、結果を出せるかどうかの境目だと思う。頭が良くてもそれを示せない奴より、多少自信過剰な奴の方がよっぽど使える。それが現実だ。

その一方で、学部生の頃には勉強が好きでもなく、試験前の一夜漬けで単位を稼いでいただけの奴らが、どんどん論文を書いて実績を残したりしている。彼らは既に現在世界を舞台に活躍しつつある。釈然としないが、それが現実だ。

率直に言って私に才能がなかったとは思わない。努力もそれなりに重ねてきた。しかし、その努力が私の場合はことごとくピントはずれだった。意味のない努力で時間と労力を浪費した。そして努力すればするほど、自分の力不足を痛感し、恥じることとなった。この状況を打開するまでは何も言う資格はないと思いこみ、やりたい研究テーマや悩みについて率直に相談することを避けてしまった。結局、空回りしたままやりたいこともできず、大半の時間を浪費した。そしてその時間は単なる苦痛な時間でしかなかった。研究に入る前の段階で力を使い果たしてしまったのだ。

分野にもよりますが,研究者になる上で頭の良さより別の才能(いい意味での馬鹿さとか)が求められていることはもはや常識だと思っていましたが.

話がずるずるとずっこけるけど、沖縄で知ったある市井のおばさん。ハーフ。話しているとずばぬけて頭がよい。このおばさんどっかの大企業の社長にせーと思うくらい経営能力がありそうなのだが、その才能を身近なことにしか使わない。英語ぺらぺらっつうか。娘がおるのだが、娘に英語は教えない。一度なぜ?ときいたら、あの子だめよぉみたいにからから笑う。考えてみたら彼女にとって二カ国語をしゃべれるというのは母国語をしゃべれると変わらないことのようだ。日本人に日本語上手ですねと言われるようなものなのだろう。

 そういえば昔研修みたいので一緒だった短大卒の女の子なのだが、どうもずばぬけて頭がよい。なぜ短大?と聞いたら、志望校に落ちたからとか軽く言う。どうも人生の挫折をそのままへいへいと受け入れて不遇というのではないけど適当に生きている。

話は変わるけれども、何かに適している適していないという事実と、それが良いことなのか悪いことなのかという価値判断は、全く関係ない話でこれをごっちゃにしていると痛い目を見る。実際に昨日痛い目見た。

頭が良い悪いは文脈によって内容が変わる。良い悪いは価値判断であり事実ではない。彼/彼女は仕事ができる、できないというのは事実(仕事を評価する基準がある場合に限る)。偏差値が高いことを良い。低いことを悪いとするとき、偏差値が高い人が頭の良い人。偏差値の低い人が頭の悪い人となる。

研究者に向いている/なれたことが良い、向いていない/なれなかったことが悪いと考えれば、研究者に向いている人やなれた人は頭の良い人。向いていない人やなれなかった人は頭が悪い人。