研究と勉強の本質的な違い

卒業研究を始めた年から今年で7年目。やっと研究と勉強の本質的な違いが見えてきたように思う。分野によって異なるとは思うが、研究とは科学的手法に基づいて世界に存在しなかったものを存在するようにするものである。勉強は、世界に存在するものを学ぶ(存在を認識する)ことである。もう一度いうと、研究は「無い」ものを「有る」ようにするのが目的、勉強は「有る」ものを「知る」のが目的。

研究は基本的にどこにも答えがない。場合によっては、問いすらない。問いや答えを自分で作りだし、その問いや答えの妥当性を出来る限り多くの人間に納得させなければならない。仮定や前提によって問いや答えは変わるので、多くの人間が納得する仮定や前提を選ばなければならない。つまりは、問題を解決する枠を用意し、自分の用意した答えがその枠をぴったり満たしていることを示さなければならない。一方、勉強は、基本的に問いも答えも用意されている。すなわち、問題解決の枠とその中身はあらかじめ用意されている。問題解決の枠が決まっているので、答えもひとつに定まることが多い。問題解決の枠の妥当性も他人が保証してくれている。

卒業研究で配属されてくる学生(私も含む)が、もっとも苦しむのがこの研究と勉強の違いである。勉強しかしらない身では、この問題解決の枠を自分が自由に設定してもよいということと、なぜ、その問題解決の枠が妥当であるのかを自分が保証しなければならないという点を理解できない。この2点が理解できない限り、まともな研究を行うことはできない。

卒業研究時に研究室に配属されて、7年間に30人くらいの同級生や学生を見た限りではこの2点を理解するのに3年間くらいの研究体験が必要となるようだ。自分の経験から考えてみても、この研究と勉強の違いは、体験してみないと理解できない事柄である。

このことから、最近、新卒採用が学部(大卒)から、大学院前期課程(修士卒)へシフトしはじめている(工学部だけの事例かもしれないが)のは良いことだと思う。研究内容はともかくとして、研究方法や姿勢や考え方は、学術的な研究活動以外の創造的活動にも十分応用が可能なものであると思うからである。

一方で、就職活動を始める時期がどんどん早まり、3年生の10月くらいから始まるようになったのは、困ったことだなぁと思う。勉強と研究は全く異なるものであるので、大学3年生までのイメージで「もう勉強したくないから就職する」という理由で、研究を理解しないで大学を終えてしまうのがもったいないからである。明らかにこれら二つは違うので両方とも経験してみてから、進学か就職かを決めたら良いのになぁと思う。研究が肌にあわないのならば、就職して、研究をもうちょっと学んでみようかなと思う人は大学院へ行くというようになれば良いと思う。

大学院修士課程に進むということが、研究者になるということを選択したという時代は遥か昔に過ぎた。大学院修士課程というのは、研究者という道もあるという可能性を開くものであり、かつ、研究を行うことで勉強を行うことだけでは得られなかった考え方や方法を学ぶところである。当然、高度な知識習得のための勉強を行うところでもある(ただし、この知識が社会での仕事に直接的に結び付くかは非常に疑問だけれども)。

仕事が自動化されて、ますます高度で複雑な仕事をこなさなければならないようになっている現在、求められているのは創造的活動が行える能力であり、大学においてシステム的に創造的活動を行えるのは研究活動においてだけである。研究者という職業人を増やすのを目的とせず、研究活動という経験をした人材を得るのを目的として、大学院修士をより利用した方がよいと思う。

また、話がねじれちゃった。