しつこく「メール文頭で名乗りをすべきか?」という話。
話の経緯は、
- 大学という斜陽産業:(no subject) http://ameblo.jp/sphinx/entry-10003604395.html
- 大学教員の日常・非日常:迷惑は体験させてやる http://blog.livedoor.jp/yahata127/archives/30596540.html
- 発声練習:件名なしメール http://www.gotoo.que.jp/Weblog/archives/2005/08/post_58.html
- Rauru Blog:メールの文頭で名乗る? http://wordpress.rauru-block.org/index.php/416
- 発声練習:文頭の名乗りはメディアの違い http://www.gotoo.que.jp/Weblog/archives/2005/08/post_59.html
- Rauru Blog:メール今昔物語 http://wordpress.rauru-block.org/?p=424
- 大学教員の日常・非日常:メールの文頭で名乗りあげる http://blog.livedoor.jp/yahata127/archives/30947439.html
- Artifact 人工事実:なぜメールの文頭で名乗るようになったか? http://artifact-jp.com/mt/archives/200509/mailintroducing.html
というところ。
文頭の名乗りは、メールをフィルターリングするのに役にたつというわたしの意見に対して、nakanohitoさんは、そういう目的ならばアメリカにおいて既に文頭の名乗りが根付いているはずだが、実際にはそうなっていない。日本で文頭の名乗りがあるのは別の理由があるとのこと
Rauru Blog:メール今昔物語
・ 集団帰属意識の強い日本人は、個人名よりも所属組織名の方を重視してフィルタリングを行なう。しかし個人意識の強い欧米人は所属を重視しないので、From ヘッダだけで事足りてしまう。精神構造が日本人らしくないと言われることの多い私の場合も、欧米人に近いのかもしれない。
・日本人は伝統的に名乗り的なものを重視する。これは名前だけでなく、例えば漫画やアニメにおける「ヒーローが必殺技の名前を叫ぶ」現象と共通の根を持つ(アメコミには見られない現象である)。たぶん言霊信仰や歌舞伎の伝統とも関係があるのだろう。フィルタリングの役に立つというのは後付けの理由で、実際には「名乗る/名乗られるとなんとなく気持ち良い」という日本人的精神性が働いていることこそ真の理由なのだろう。精神構造が日本人らしくないと言われることの多い私の場合には、そのような感覚が働かない。
だいたい納得。フィルターリングの役にたつという意見は変わらないものの(なぜフィルターリングの役にたつのかという私の中の理由が特殊例に思えてきた)、上記の意見にだいたい納得です。実感として、名乗ってもらったほうが誠実な態度のような気がしますし。ただ、そうすると次の疑問が生じました。
- アメリカにおいても、電話だと会話のはじめに名乗る(日本も同様)
- アメリカのラジオも、番組のはじめに名乗る(日本も同様)
- アメリカのビジネスレターのへッダ部分に所属と名前がある
- 学術論文は、タイトルのあとにすぐ著者名と所属が記述される
この事実から考えるに、直接顔を面していないメディアにおいて最初に名乗るというのはアメリカでも特異な考え方ではないと思われるのですが、何故か電子メールでは最初に名乗らない。
nakanohitoさんの考えでは、メールのFrom欄が名乗りの代行をしていたのではないかということですが、所属を表すにはFrom欄だけでは今や足りません。アメリカ発、全世界的メーラーのOutlook Expressにもnakanohitoさんが提唱するOrganaizationへッダーが対応していない。この事実は、電子メールにおいて最初の名乗りが不要ということを表しています。なぜ、電子メールにおいて文頭での名乗りがなくなってしまったのでしょう?不思議です。
# 上の論旨は、名前を名乗ることと所属を名乗ることがごっちゃになっているかな?