内田 樹の研究室:対偶と教員評価(のあいだには何の関係もありません)
申し訳ありませんが、どなたかまとめて「ただしい説明」に書き換えておいてください。
とあるのでチャレンジ。
全称命題「すべてのSはPである」の対偶は全称否定命題「すべての非PはSではない」である。記号論理学でいうと、A⊃B(AならばB、つまり集合Aは集合Bに含まれる)の対偶は〜B⊃〜Aと書き表される。これは「Bでないならば、Aでない」つまり、集合「非B」は集合「非A」を含むを意味する。
上記で説明がおかしいのは集合の話が入っている部分です。これの原因は、記号「⊃」にあると思うので、記号なしで対偶を
説明してみます。
正しいか間違っているのか判断できる平叙文を「命題」と言います。命題をAとBで表すとき、「もしAならば、Bである」という複数の命題を使って表される文も、正しいか間違っているのかを判定することができるので命題です。
対偶とは、命題「もしAならば、Bである」に対して、「もしBでないならば、Aではない」という形をとる命題のことです。
ちなみに、命題「もしAならば、Bである」に対して、「もしBならば、Aである」という形をとる命題のことを「逆」といいます。
対偶は、いくつかの性質があります。その性質のひとつに命題「もしAならば、Bである」が正しいのであれば、その対偶「もしBでないならば、Aではない」も必ず正しいという性質があります。
- 「もし、雨が降っているならば、私は傘をさす」という命題が正しいとすると
- 「もし、私が傘をさしていなければ、雨は降っていない」も正しいです。
- 「もし、あなたが人間であるならば、あなたは生物です」という命題が正しいとすると
- 「もし、あなたが生物でなければ、あなたは人間ではありません」も正しいです。
これが、「もし〜ならば・・・」という命題とその対偶の関係です。
対偶の説明の範囲からはずれますが、内田先生は哲学をたしなまれるのですから、確実に数学の神髄を身につけられていると思います(数式や数式の変換は枝葉の問題)。数学の神髄とは、論理的思考です。論理学は哲学から派生して研究されている分野ですから、その本質は哲学自体に含まれているはずです。