脳みそに浮かぶ「社会」

私の先のエントリ:あなたの知識は誰のもの?理系白書ブログの元村さんからコメントをいただきました。

そのコメントの中での問いかけ

私が問いたかったのは、そうした一連の作業(研究ですね)に取り組む時、あなた方の脳みそのどのあたりに「社会」ってのがありますか?ということでした。
に答えてみたいと思います。

正直にお答えすると、私が研究するときに考えているのは私の研究成果の「利用者」だけです。「社会」という漠然としたものは
浮かびません。「利用者」以外にも喜んでもらえれば嬉しいですが、喜んでもらえなくても別にかまいません。

ただし、これは私が工学者であることに由来していると思います。工学の基本は、利用者に使ってもらい、利用者の生活を豊かに
することです。誰も使ってくれないものを(利用価値のないもの)を研究するという発想が私にはありません。また、私を指導してくださった先生に利用価値のないものを研究するという発想はなかったです。ですから、利用者が研究者であっても、技術者であっても、事務の方、総務の方、経理の方であっても、全く構いません。

世の中すべての人にとって、便利であるというものを生み出すのが夢ではありますが、実際は、誰にとっても嬉しいというものは
誰にとってもつまらないものと同等ですので、誰かにとって嬉しいものを生み出したいと思っています。

しかしながら、公開鍵暗号の誕生は桁の大きい数の素因数分解を行うのにはあまりにも時間がかかりすぎるので、事実上不可能であるというネガティブで誰も望んでいなかった研究成果から生まれたという事実がありますので、誰が工学者の立場で研究するのは好ましくないと思います。

一定数の研究者は、社会のことなど考えず己の興味がおもむくままにただひたすらに世界の闇を照らす作業を続けてくれるのが、数世代後の社会にとって有益な結果をもたらすことになると信じています。