あなたの知識は誰のもの?

理系白書ブログ:専門家取材の作法で刺激的な問いかけをされています。

ここに来てくれる大勢の研究者の方々に問いかけたいのは、「あなたの頭の中に蓄積された智恵、知識、書いた論文は、誰のものか?」ということだ。

もっと具体的に言うと、パトロンに雇われた科学者でない限り、税金や公的なお金から研究費が出ている。それで生み出した知の財産を、社会に提供することをどう考えるかということだ。

私の答えは、「私の頭の中に蓄積された智恵、知識、書いた論文は私のものである」というものです。

しかし、これは理系白書ブログの著者である元村さんの問いかけを字句とおりに解釈したときの答えです。私は、元村さんがこのような厳しい質問を問いかけたかったのではなく、本当は別のことを質問したかったのだと思います。

たとえば、

  • 「研究者の使命や本分は、新しくわかったことを社会に還元することではないのですか?」
  • 「研究者のみなさんは、研究成果を社会に還元する行為として論文発表や特許出願を行っていらっしゃいますが、実際は論文発表や特許出願は他の研究者たちへの還元であり、社会(=市民)への還元になっていません。このことについて以下にお考えですか?」

と聞きたかったのではないでしょうか?

それにしても、元村さんの質問は厳しい質問です。

  • 毎日新聞の記者である方は毎日新聞の読者からのお金で取材をしている。であるから、取材で得た智恵や知識、記事はすべて読者のものではないのか?」
  • 「公務員は税金で仕事をしている。であるから、職務で得た智恵や知識、書いた書類はすべて納税者のものではないのか?」

元村さんの質問はこういう風に質問しているように読めます。

なぜか?研究者にとって「研究=仕事」であるから、「研究者は公的な資金や税金で研究をしている。であるから、研究で得た智恵や知識、書いた論文はすべて国民のものではないか?」という問いかけを上記のようにいろいろな変換して読めるのです。雇用されている、もしくは、資金提供をされている人間の知識や智恵はお金を出している人のものですか?違いますよね?資金は成果に対して払われているのであって、雇用されている人が所有している知識や智恵に払われているわけではないです。

ですから、私の答えは「私の頭の中に蓄積された智恵、知識、書いた論文は私のものである」というものです。ちなみに、論文は得た研究成果を社会に還元するために書いています(業績となるという点もありますが)。

また、研究者が研究成果を社会に還元するのは使命であり、研究者の定義であると思います。研究成果を社会に還元しないならば、それは単なる趣味であり研究とはいえません(社会に還元しなければ、その人が死んだら研究成果も消える)。社会に還元する方法は、論文発表や特許申請、あるいは学校での講義、講演会に
なると思います。

以下、余談。

ただ、私も元村さんと同じように考えたことがあります。それは、発表した論文には無料でアクセスできないという問題についてです。普通、投稿した論文の著作財産権は投稿先の組織に移管されます。多くの場合、自分の書いた論文ですが自分で勝手に配布する権利はありません(別刷りは別。なぜならば、別刷りは投稿先の組織から筆者が買っているものだから)

ほとんどの組織は、投稿された論文を売っています。自由は無料のことではないとは、オープンソース運動の方々が言っていることですが、しかしながら、論文は高いのです。情報処理学会は比較的安く論文一本630円です。IEEE-CSは一篇$19.00、ACMは$10.00です(どれも、非会員の値段)。有名ではない組織の場合は、論文一篇$20.00以上することもあります。それでも、手にはいらないよりははるかによいことですが。

質のよい論文を採択し、かつ、論文を管理し、手にはいる形で維持するためにはお金がかかりますから料金をとるのは当然であると今の私は思います。でも、昔はお金を持っていない学生だったので論文代は非常に厳しく感じました。