「ちゃんとしている奴が文句をいわれる」法則

コリアン・ザ・サード:過剰な押し付けはお断りの本文とそれに対するコメントを読んで思い出したのは、高校のときの部活動での経験です。

部活動の活動日にずる休みした奴がいると、顧問の先生が休んだ奴と同じ学年の奴を全員集めて叱り付けるんです。「なんで、休む理由を言わずに勝手に休むんだ。」「あいつがいないと練習の**のメニューができないじゃないか。」などなど。先生の叱っている内容は正当なのですが、それを練習にまじめに参加している私達に言うのはおかしいと当時叱られながら考えていました。その叱責は、ずる休みした奴にいうべきであり、私達に言うべきではありません。なぜなら、私達は叱責の内容が正しいと思っているから練習にちゃんと参加していたからです。

このような「ルールを守っている奴がルールを守っていない奴の代わりに文句をいわれる」という体験は、上記の部活動のときだけでなく幾度も経験しました。また、一方で、大学の部活動の主将になったとき、私が「ルールを守っている奴にルールを守っていない奴に対する文句をいう」ということをやってしまったこともあります。

ルールを守っている奴にルールを守っていない奴に対する文句をいってしまうのはなぜか?少なくとも私の場合は「保身」と「警告」、「怠惰」、「伝達」、「八つ当たり」の5つが理由でした。

「保身」:
ルールを守っている奴(遵守者)はルールを守っていない奴(違反者)よりも従順であり、怖さがありません。叱って、反撃されたり、逆恨みされたりするのは嫌です。ですから、従順なルールを守っている奴に次に述べる「警告」の意味で叱責を浴びせてしまうのです。

「警告」:
ルールを守らないと私はこんなに怒るだよということを知らしめておきたいという考えで、まだルールを破っていない「予備軍」に警告の意味で発します。

「怠惰」:
違反者に叱責を浴びせるには、違反者を見つけ出し、捕まえ、叱責を浴びせる機会を作らなければなりません。大抵の場合、違反者は、叱責者の目の前にいません。ですから、探す必要があります。上記「保身」とも関連しますが、見つけ出す段階で反撃、逆恨みを受ける可能性があります。また、見つけ出し、捕まえることに費やされる労力も馬鹿に出来るものではありません。

また、人を叱るというのは精神的にきつい行動です。人は叱責・批判を受けると叱責・批判者に反発します。叱責・批判が正しければ正しいほど、反発の度合いは大きくなり、批判者に嫌悪の感情をいだくこともあります。多くの人は(少なくとも私は)人に嫌われたくありません。ですから、相手に嫌われるとわかっている行動である「叱責」を行うのは非常にきつい行動です。上記2つの理由から、違反者を叱責するのが億劫になってしまうのです。この結果次に述べる「伝達」と「八つ当たり」に発展してしまいます。

「伝達」:
遵守者から、違反者に叱責内容と叱責されているという事実が伝わることを期待します。これは、上述の「怠惰」と「保身」に関連して違反者に直接は叱責を行いたくないという思いがこの行動を引き出すのだと考えられます。

「八つ当たり」:
上記の「保身」「怠惰」の結果、また、これらによって自分自身に喚起される「嫌悪感、疲労感」から、思わず遵守者に対して感情を爆発させてしまいます。

上記の5つのうち、遵守者にとって少なくとも利点があるのは「警告」の要素だけです。その他の理由は、すべて叱責者側の理由です。しかし、「警告」も繰り返されれば、その効果を失っていき、さらに繰り返すと遵守者に「私達は信用されていない」という思いをかきたててしまいます。

今回のコリアン・ザ・サードのらーさんに対する要求は、まさしく「ちゃんとしている奴が文句を言われる」という法則の実例そのものです。なぜ、らーさんにいろいろは過剰な要求がでるのか?それはらーさんが私達の目の前に出てきてくれているからです。

そして、今回のらーさんの宣言は非常に妥当で、適切です。なぜなら、らーさんに対する要求は、実は私達の目の前にでてこない不良在日韓国人朝鮮人への要求であり、らーさんへの要求ではないからです。らーさんが自分で明らかにしていることより、らーさんに要求を突きつけたとしても「伝達」の効果は期待できません。また、らーさんのエントリからすると「警告」も必要ないと考えられます。つまりは、上述の5つの理由から考えれば、過剰な要求をらーさんに行うことはらーさんと不良在日韓国人朝鮮人へ対しては何の意味もないことになります。

違反者の代わりに遵守者に文句を言いたくなるのは、私も実際に実行してしてしまっているので良くわかります。しかし、自分が規則を遵守しているのに違反者の代わりに文句を言われるのは正直ごめんこうむりたいです。そのためには、まず、どうして違反者の代わりに遵守者に文句を言いたくなるのかを自覚し、自分が出来る限りそんなことを行わないようにするしかないのだと思います。